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最近は縁日に行っても、ヒヨコ売りはとんと見掛けなくなった。たまに見つけると、緑やピンクのヒヨコを売っている。ペンキを塗られたヒヨコを見て、子供たちは不思議がっている。たいていは、餌もいっしょに売っているものだ。 私が小学生の頃は、校門の前に時々売りにきていた。一匹十円、餌一袋十円位だった。何時も見る度に、(ほしいなー)と思っていた。そんなある日友達が、養鶏農家に行けば、安く買えると言う話しを持ち込んできた。何人かで話しがまとまり、さっそく買いに行くことにした。 三十九年もおしせまった寒い午後だった。空っ風の吹く、渡良瀬川の堤防の上を、六キロ近く自転車を走らせた。 農家の飼育室は電気で温められ、ピヨピヨと、学校の合唱会のようだった。 「おじさん、ヒヨコ売っておくれ。いくらするん?」 「オスが二円、メスが百五十円だな」 「ヒヨコは卵より安いん?」 「ああ、オスはな」 卵を産まないオスの運命を考えると、悲しくなった。 「ヒヨコ売りは、一匹八円もうけてたんだ」 誰かが無造作に言った。 みんな五匹ずつ買った。ボール箱に入れ、途中何度も箱に耳を付けて、鳴き声を確認しながら帰った。家に着いた時は、すっかり暗くなっていた。 「お兄ちゃん、買ってきたん?」 妹が跳んできた。 「五匹だぞ!」 箱を開けると、三羽のヒヨコがぐったりしている。砂利道を飛ばしてきたせいか、腰が抜けたように座り込んでいた。さっそくミカン箱を持ち出し、丁寧に新聞紙を敷いた。二十ワットの電球をぶら下げ、餌と水とを小さな皿に入れて置いた。二人でずっと覗き込んでいる。 「餌食べないね」 妹が心配している。私は一番元気のない一羽をつかまえて、小さな飴色の嘴を水に着けた。それでも水は飲まなかった。裸電球に照らされたヒヨコは、金色に輝き、小刻みに震えていた。 次ぎの朝、羽毛がばらばらに踏み付けられ、二羽が死んでいた。触ると電球のせいで体が暖かい。半分に閉じた瞼が、泣いているようだった。次の日にまた一羽が死んだ。 その後残った二羽は、白い羽が生え出した。体も二倍以上になった。六人で買ったヒヨコが、まだ生きているのは三人になっていた。学校ではいつもヒヨコの話しをしていた。 酷く寒い朝だった。私はかわいそうに思い、朝までしていた豆炭あんかを、ヒヨコ箱に入れて学校に行った。 その日も急いで帰ると、箱が外に出されている。 「ヒヨコどうしたん?」 母に聞くと、新聞の包みを指差した。紙には羽が黒ずんで、硬くなったヒヨコが包まれている。妹は涙ぐんでいた。朝入れた豆炭が、熱過ぎて死んだのだった。 先に死んだヒヨコと並べて埋めていると、そばで妹がポツリと言った。 「熱かったんだ。かわいそうだね」 私は何も答えなかった。心配し、良いと思ってした事が、かえって罪になる時がある。それが、小さな命まで奪ってしまったとは……。 妹を突き飛ばして、家に駆け込んだ。 (もう生き物は飼わないぞ。絶対飼うものか!)深く心に誓うと、涙が出た。 春になって、 「お兄ちゃん、何もってきたん?」 「トカゲさ」 あいかわらず、その後もナマズやら、コウモリを飼っていた。 電球などと違った両親の暖かい羽の中で育った、私達兄弟のヒヨコの頃だった。 ![]() |
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