夢経さんの家

お気に入り


お気に入り
 ピポッ!‥‥。
私のパソコンの立上がりは遅い。購入して五年も経つと、かなりの旧式ということになってしまう。やがて画面が現れ、インターネットをスタート。あれこれクリックして、お目当てのホームページにやっとたどり着く。
 画面の上の方に(お気に入り)と書かれた表示がある。カタカナ文字がめっぽう多いパソコン用語の中で、心地よい響きを与えてくれる。インターネットは、世界中の情報源につながっている夢の引出しだ。クリックすれば、自分の気に入ったページをすぐに呼び出せる。まるでドラえもんのポケットだ。
 時代が作りだす価値観は、日々急速に変化している。現在は物そのものより、数多い情報量を持つことが重要視されている。そして、情報はあちこちにあふれている。正しい情報、嘘の情報、おかまいなしに乱れ飛び、選別するのは大変なことだ。こんな社会環境の中では、情報を詰め込んだ小さなメモリーやスマホを(お気に入り)にしている人が多い。そこにはあるのは情報であり現物ではない。実際に触れて確認することもなく、情報として理解して、すべてを知ったような錯覚に陥っている。情報が(お気に入り)になったら確実に人間として病んでいる。
 詳細な画像や音声でスクリーンに映し出される、海や山の自然も理解できる。しかし、実際その場所に立ち、体で感じた美しさではない。潮の香りも、木立の匂いも、風も無い。ましてや虫に刺されることもない。
 小学生の頃、衣装箪笥の小さな引出しを一つ専用にもらい、気に入った物をガチャガチャにしまっていた。抜けた乳歯の中で一番ひどかった虫歯、形の変わったドングリ、ミヤマクワガタの標本、まるで変質狂のコレクター引き出しだった。この引出しが、少年時代の(お気に入り)だった。時々開けては、小さな世界を楽しんでいた。
 私の今の(お気に入り)は、自分の五感に伝わってくる感動だ。今日もそれを求めて夜遅くまで、週末に出かけるツーリングサイトにアクセスしている。
 隣室から少々いらだった妻の声がした。
「まだやってるの!‥‥」
(お気に入り)は、人によって全く違ったものなのだろうし、私のそれは、あまり理解されていないようだ。