夢経さんの家

夏の普通列車で


夏の普通列車で
  その日私は各駅停車で、栃木県の氏家から仙台に向かっていた。最初に黒磯で乗り換え、次に郡山で福島行きに乗り換えた。この列車は十二時四三分に、福島に到着する予定になっている。福島では十七分待ちで、十三時発の、快速仙台行きに乗り継ぐ。
 列車が福島駅に近づくと、車内に乗り継ぎ案内の放送が流れた。新幹線に関する案内の後、
「次に在来線の案内をいたします。東北本線下り方面は、仙台行きが十三時ちょうどの発車となります。四番線の快速ラビット号、仙台行きにお乗り換えください」
 車内はにわかに、荷物を整える客で、あわただしくなった。(私は以前この列車に乗ったことがある。その時は、列車が福島に着くとそのまま、快速の仙台行になった。今は夏の繁忙期なので、前と接続パターンが変わったのだろうか?)実際に列車は混んでいる。出入り口はもとより、奥の通路まで客が立っていた。
 今の車内放送では、誰が聞いても乗り換えることになる。私の隣に座っていた老夫婦も身支度をしていた。時折二人の会話が耳に入っていたので、十三時発に乗り換える旅であることが分かっていた。私も降りる準備をして立ち上がった。どうにも気になり、駅が近づくとホームの到着番線を目で追ってみた。この列車が入るのは、四番線になる。やがてホームに入ると、そこには列車待ちの乗客が並んでいた。
 ドアが開くと同時に、車内からほとんどの客が降りていく。私も降りようと立ち上がると、列車の窓越しにホームの電光案内板が目に入った。そこには、(十三時発・快速ラビット号仙台行)と、掲示されている。降りるのをやめた。付近はすでに、空席だらけになっている。ボックス席で進行方向を向いた、窓際の特等席に座った。客が降りると同時に、列車待ちをしていた乗客が、いっせいに車内に入ってきた。その後のホームは、一時雑然としていたが、やがて降りた客の内かなりの人数が、再び車内に戻ってきた。今まで乗っていた列車が、今度の仙台行きだと分かったのだ。隣にいた老夫婦は、別の車両に乗ったらしく、戻ってはこなかった。
 私のいるボックス席は、体格の良い学生風の若者が向かいの窓際に座わった。通路反対側のボックス席には、旅行中らしい若者が二人、窓際に向かい合って座った。通路側が四席あている。
 一旦降りた乗客と思われる四人の老人が、大きな荷物を通路に置いて、どっかりと通路側の四席に座った。どう見ても七十歳は越えている。それぞれ酒が入っているようだ。何よりも声が大きい。
 (話の便宜上、私の右隣をAさん、その向かいをBさん、通路を挟んでその左隣をCさん、その向かいをDさんとする)
 座るなりCさんが話した。
「まったく頭にくる、わざわざ降りることはなかったのに!だからJRは駄目なんだ」
ハンチング帽に丸い眼鏡をかけ、鼻の下には、短く切りそろえた髭を蓄えている。続いてDさんが、
「あの放送じゃだれだって降りるよ。まったくふざけやがって!」
私の隣にはAさんがいるので、Dさんの姿は良く見えない。今度はペテン帽のようなキャップを被ったBさんが、
「これは快速だけどいいのか?」
「いいんだ。時刻表に書いてある」
Aさんが答えた。ハンチング帽に作業ズボン姿で一番体が大きい。どこかに東北訛りがあった。
するとBさんが、
「やっぱりな。俺はこの列車が、そのまま仙台行きになると思ってたんだ。三人が降りるというので、一緒に行動したが、やっぱり俺が思っていたとおりだ」
(思っていたのなら、最初から言えばいいじゃないか)と思った。どうもCさんは、調子のいい人のようだ。さらにDさんが、
「酒の途中で降ろされて、まったく頭にくるな!」
するとBさんが、
「酒を急にやめたので、消化不良になったぜ」
Cさんが、
「車掌が来たら胃薬をもらえよ、頭にくる」
Aさんがゆっくり言った。
「要は、車掌の案内が悪かったんだ」
(そのとおりだ)と思った。四人の怒りはまだ続いている。
 間の悪いことに、車掌が四人の前を通りすぎようとした。Cさんは、大声で車掌を呼び止めた。
「車掌!とんでもない変な放送をするな!ちゃんと案内をしろ!始めての客はわからないんだぞ!どうせ俺はもう来ないけど」
(もう来ないは余分だ)
「すみません。『四番線は快速の仙台行きです』と、ちゃんと放送したと思いますが」
「そうじゃない!車内放送のことを言ってるんだ。四番線の仙台行きに乗り換えろと言われれば、だれだって別の列車かと思うぞ!」
「申し訳ありません」
「わかりやすく放送しろ!仙台まで行く人はそのまま乗っているようにと、言えばいいじゃないか!」
大声で怒った。車掌は謝るよりない。
「すみませんでした‥‥」
「おまえが謝ってもしょうがない。おまえはどうせ雇われ者なのだから。経営者が謝るべき問題だ」
Cさんの手には、酒が入った小さな湯呑茶碗が握られている。こんどはDさんが、
「酒の途中で、席がバラバラになったじゃないか!」
こんなやり取りの中で、発車時刻が近づいてきた。
「すみません。そろそろ発車の合図をしませんと‥‥。その旨、報告をあげておきます」
車掌は何度も頭を下げながら行き過ぎた。先ほどの車内放送は女性の声だった。福島から替わった今の車掌とは違う。怒られた車掌が少し気のどくな気がした。
 それにしても、元気な老人たちだ。その後も老人カルテットは、いくつかの話題で盛り上がる。元気な彼らはさておき、つい先ほどまで一番良い席で旅をしていた、隣の老夫婦が気にかかった。やがてドアが閉まり、何事もなかったかのように列車は動き始めた。
    
 取りあえず席に座れたし、列車も定刻に動きだしたので、先ほどの興奮は収まったようだった。Bさんが口火を切った。
「ところでさっきまでの議題は、何だったっけ?」
「おまえの言う場所の件だ」
Dさんが答える。すると、Bさんが言った。
「そうそう、あの銅像があった場所だ。名字の上杉までは出てるんだが、下が出てこない。山形で見たはずだ。いや米沢だったかな。米沢に違いない。ほらこの前みんなで行ったはずだ」
「俺は米沢になんか行ってないぞ」
「そんなことはない、行ったろう。もう忘れたのか。そうか‥、お前はあの時、参加していなかったかも知れないな」
Cさんは以外にも、タブレット型のパソコンを持っていた。昨年以前に尋ねた場所を調べ始めた。
「横浜、鯖江、新潟、それから‥‥」
それを聞いていたAさんが言った。
「おまえの言ってる銅像は、新潟にあったんじゃねーか」
すると調子のいいBさんは、
「そうそう、新潟だ。俺もさっきから米沢じゃーないなと思い始めていたんだ」
(恐れいる転換の技)只者ではない。
「あそこで俺の携帯が壊れたろう」
すっかり話題を変えている。ますます恐れ入った業師だ。こんな調子の人が上司だったら、(部下は苦労しただろうとな)と思った。そんな性格も知り尽くしてこの四人は、長い付き合いをしているのだろう。
 Cさんがカメラの三脚を出して来た。
「この三脚は足が自由に曲げられていいぞ。しかも百円だ」
Bさんが手に取り眺めながら、
「これじゃー駄目だ。俺のカメラは大きいので無理だ」
Cさんはもう一つ別の三脚を出した。
「実はこれもあるんだ。これは足がスライドして結構丈夫だぞ」
「そのやつなら俺も持っている」
Bさんも同じ物を持っているらしい。
「百円じゃいいよな、俺も買おうかな」
Dさんが言うと、今度はAさんが静かに言った。
「俺は買わない。たとえ百円でも必要のない物は絶対買わない」
一瞬みんなは黙った。(そのとおりだな)傍観者の私は反省した。
 次の話題は、Dさんが口火を切った。
「帰りの日は赤羽で、反省会と打ち上げで飲もうぜ」
Bさんが答えて、
「盛り上がって飲めるのは、今夜と明後日の晩だな。もっとも最後の三日目は疲れているし、愚痴の言い合いになるよな」
こんどはCさんが、
「戻ってから帰りがけに飲むと遅くなるぞ」
すかさずDさんが、
「タクシーで相乗りして、帰ればいいじゃないか」
Dさんはどうしても飲みたいらしい。
 いろいろのやり取りを聞きながら、このグループのことを考えてみた。毎年九月一日、日を決めて旅行に出るようだ。同じ会社にいた同僚らしい。いつもの旅行のパターンは、初日が目的地までの移動と宿での宴会。二日目は自由行動で、各自好き勝手に出かけるらしい。よって、この晩の飲み会はない。三日目の朝集合して、終日団体行動で観光を楽しむ。そして、最後の宿泊になるのだが、この晩はまた宴会がある。
 仲間数人のグループ旅行で、自由行動を一日組み込んでいるのには驚いた。いくら仲が良くても、四六時中三日間、一緒にいると葛藤も出てくる。それを自由行動で取り除き、三日目は自由行動での情報提供、自慢話や失敗談でみんなが和む。すごい行程を作り出している。年の功は侮れない。
 どうやら帰ってからも飲む方向になったらしく、今度はタクシー代の割勘が話題になっていた。
いろいろの意見の後、Cさんが言った。
「最初に降りるDさんは、四人で割勘なので降りた場所までの料金の四分の一を払って降りる。次に降りるBさんは、Dさんと同じ金額プラス、Dさんの家からBさんの家までの三分の一を払う。次に私が、Bさんと同じ金額とBさんの家から私の家までの二分の一を払う。最後にAさんが、今までのお金で足りない分を足して料金を払う。どうだ!いい考えだろう」
しっかり者のAさんが言った。
「俺の家はCさんの家から近いから、一緒に降りて歩いてゆくよ。家に着いた途端に料金メーターが上がったら嫌だからね」
(なるほどな)と思って聞いていた。
 最初に降りるDさんは間違いなく75%引きの料金で行ける。ほかの人たちは、順次降りる距離によって、それぞれ違った割引率になる。たとえば、CさんとAさんが離れていて、Aさんの家が遠ければ遠いほどAさんの割引率は少なくなる。家が遠い人は早めにきりあげて、公共機関で帰ったほうがよい。場所は赤羽と決めずに、(みんなが帰りやすい所)というのが最善なのだろう。
 話を聞いているうちに、列車は広瀬川を過ぎた。もうすぐ終着である。酒を飲みながら大声で話し合う老人たちに、周りの人たちは迷惑していたようだ。私はすっかり楽しませてもらった。
 人は誰でも年をとり、外見は老いてくる。しかし、心はいつまでも若いままでいられる。その大きな条件の一つに、(気心の知れた友人がいる)ということは、間違いのない事実である。
 列車を降りると、先にホームに出た元気な老人トラベラーたちが、切符の確認をしている。
 それぞれの手には、青春18切符が握られていた。