夢経さんの家

ラジオの思い出


ラジオの思い出
 平成三年。正月の初売り広告をみた私は、大急ぎで家を出た。電機屋へ駆込み、限定二十個限りの防水ラジオを買ってきたのだ。
 帰ると父が呆れはてて言った。
「またラジオを買ってきたのか」
家族の皆は、そんな私を笑っている。そう言われれば、あのゲルマニュウムラジオ以来、私が買い込んだラジオは有に二十を越えているだろう。
 ラジオのスイッチを入れ、畳の上に寝転ぶと、初めてラジオを買った頃が思い出された。

 夏から貯めてきたお金が五百円になった時は、東京オリンピックも終わり十二月になっていた。一日十円の小遺いを、少しずつ残してきた。その小銭を何度も数え直し、ジャンパーのポケットに大事に詰め込み家を出た。
 昨晩父にたずねた。
「ゲルマラジオ買っていい?」
「そんな物買ってどうするんだ。家にはトランジスターがあるだろう!」
 店に行く途中、父の言葉が、空っ風のように頭の中を走り抜けた。
言葉を振り切るように、模型店に飛び込んだ。
「おじさん、ゲルマラジオおくれ」
「このラジオだろう」
 三つあるゲルマの中から、私が一番欲しかったラジオを取り出した。週に一、二度、店に通っては見入っていたので、すぐに判ったのだろう。
「ゲルマだから良く聞こえないぞ。もっと良い二石とか六石のラジオじゃないと駄目だよ。どうする?」
「いいんだ。はい五百円ね」
満足した気持ちの中に、何か後ろめたい気持ちが混じりあっていた。
 家に着くなり二階に駆け上り包みをといた。アンテナになるプラグをコンセントに差し込み、ゆっくりと選局つまみをまわすと、イヤホーンから小さな声が聞こえた。幾ら慎重に選局しても、NHK第1と第2の二局しか入らなかった。
 煙草箱位のラジオの裏蓋を外してみると、中はとてもさっぱりしている。バリコン、ゲルマニュームダイオード、抵抗、それに弱々しい線を巻いたコイルだけの構造だった。しかし、小さな箱の中には、新鮮な未知の世界があった。
 ラジオは衣裳箪笥の引き出しに隠した。学校から帰ると夕食までの間こっそりラジオを聞いた。内緒で聞き入っている部屋では、父のトランジスターラジオが威厳に満ち、私を見据えていた。
 やがて一週間もすると誰かに見せたくなり、そっと妹を呼んでイヤホーンを聞かせた。その夜、父に聞かれた。
「最近ゲルマは諦めたのか?」
「ああ、あんな物良く聞こえないからいらないよ」
横を向いたまま答えた。
 次ぎの日曜日、ラジオを聞いていると父が階段を上がってきた。私はあわててラジオを引き出しにほうりこんだ。
「どうだ、良く聞こえるか?」
呆然としている私にゆっくりと話しかけた。
「お父さんが子供の頃は、鉱石ラジオというのを作ったものだ。庭に竹竿を立てて、長い針金を張って聞くんだが、なかなか聞こえなかったものだぞ」
恐る恐るゲルマラジオを出して見せた。
 中学にはいると、六石ラジオを買った。私のラジオを見て、友人のY君も同じ様な物を買ってきた。ある秋日の授業中、二人は学生服の袖口から器用にイヤホーンを出し、手を耳に当てがいラジオを聞いていた。ちょうどメキシコオリンピックの時で、レスリングの実況中継をしていたのだ。
 突如、Y君のラジオが叫んだ。
「アルゼンチン、ワンポイントリードしました!」
 何かの拍子で、Y君のイヤホーンプラグが抜けてしまったのだ。一瞬クラス全員の視線が、私達に集まった。先生はラジオを取りあげ、とぼけて言った。
「ほうー、これがトランジスタラジオと言う物か。先生に貸しておけや」
 放課後、職員室に呼ばれたY君はお説教をいだだき、ラジオを返してもらって出てきた。二人はぶらぶらと、何時もいく駄菓子屋にはいった。
「今日はまったくついてねーや」
「そうだなー‥‥」
「ハハハハ」
 二人は笑いあって、ラムネの栓を思いっきり開けた。

                            

    ゲルマニュームラジオ回路図