夢経さんの家

土木サラリーマン


土木サラリーマン
 土木と建築を合わせて、建設と呼んでいる。いずれも建設業なのだが、どうした訳か土木は建築より世間受けが良くないようだ。土木の仕事は何となくドロ臭く、建築の持つスマートさがないからなのだろう。
「土木の仕事ですか。ずいぶん汚れるんでしょう?」
世間からは、この程度の関心しかよせられていない。
 そこにきて、良くない事件が起きると、新聞やテレビは、
「今回指名手配された犯人は、住所不定、土木作業員のAで、‥‥‥」 
と、大工でも左官でも、土木作業員で登場させる。土木の現場は昔流にいうと、無宿人の集団のように思われている節もある。これでは世間受けも悪くなるはずだ。

 三十六年余りの人生のうち十四年。四割近くを土木屋サラリーマンとして、建設現場をほうぼう歩いた。
 土木工事は都市型と山間型とに大きく分けられる。私自身、都市型では東京都の下水道工事や首都高速道路工事を手掛け、山間型では津軽地方の河川工事等に従事した。
 都市型の工事は交通渋滞の整理、通行人の安全確保等、とにかく社会性の強い苦労が余分につきまとう。とりわけ厄介なのは苦情処理である。住民エゴ丸出し、『ごね得』狙いの苦情で、ノイローゼになった仲間もいるくらいだ。実際本当に困っての苦情は三割に満たない。
 「工事のせいで店の客が減った。おまえら営業補償をしろ!」
こんな苦情がまず多い。そんな苦情の中でも、
「うちの店は、うちがよくって客がきてくれてんだから、しんぺーいらねーよ」こんなお店の旦那に会うと、何とも嬉しくなる。苦情をいう店にかぎって、もともと客入りが悪いようだ。
 奥様族の苦情も多い。  
「工事のせいで子供の成績が下がったの、何とかしてくださる!」 
「それは大変」
場合によっては静かな宿を借り、工事期間中勉強部屋を提供する。そこでは、親の邪魔が入らないのを良い事に、子供はテレビゲームに熱中している。ますます成績も下がるような気がするのだが‥‥。
 こういった苦情は、昔からある町内よりは新興住宅の町内に、一般住宅よりは公営住宅に多い。この人たちには、公共事業と言う言葉は無縁のものなのだろう。
 山間型の工事は人間味があっていい。
 山の枯木が芽吹く早春。乳白色の若芽が日増しに萌木色へと緑を濃くしていく。吹き抜ける風には、ほんのり南の香りが混じり出す。そんな季節の移りゆくさまを、色に臭いに感じながら、自然を相手に工事をする。土木屋冥利に尽きる時だ。そんな現場を担当する時は楽しさの反面、単身赴任という家族の犠牲を余儀なくされる。
 少し難点を上げると、地元作業員が契約工期をあまり認識してくれない事がある。あくせくした生活に馴染んでいないので、工期にしばられるのが馬鹿らしく見えるようだ。
 二本線のヘルメット。工事現場の小隊長。一年生の時からこんな立場になる。新入社員でも現場に出ると自分より年上の、ともすると父親くらいの年齢の作業員を指示する事になる。土木屋サラリーマンの難しさはこんな点にもある。
 名古屋の高速道路の工事現場で、主任技術者をしていた時の出来事である。新しい作業員が現場に入場する時、新規入場者の教育を実施する。現場の資料を渡し、仕事内容や危険箇所、事務所のきまり等を説明し、同時に作業員の持っている資格を調べ、その人の性格等もある程度判断する。
 ほとんどの作業員がこんな場面では、無口で、受身的に聞いているだけだ。そんな中に、赤鉛筆でメモをとりながら熱心に聞いている鉄筋工がいた。実際の仕事も、熱心そのものだった。
 その後三カ月もたったある日、工事係りの職員が、
「例の鉄筋工は時々妙な事を言う」
と、言ってきた。
 この鉄筋工は作業中に時々現場からいなくなるとの話しも聞いた。私は鉄筋班の世話役を呼んで一連の話をした。
「俺も時々変な事を言う奴だとは思っていたが、仕事は熱心だし、きれいな仕事をしているので、あまり気にもとめなかった」
と、言う。
 二、三日すると世話役が、
「あの鉄筋工は辞めてもらった」
と、報告にきた。
時々いなくなるのは、覚醒剤を打ちに行っていたと言うのである。覚醒剤の幻覚作用で妙な事を言い出す時があったのだろう。幻覚のせいで墜落でもされたら大変な騒ぎになるところだった。数多い人間を使っていく仕事は難しいものだと痛感した。
 橋や道路を造る土木工事は、第二次産業の分類にはいる。しかし、現場従事者は農業や漁業のような一次産業に従事しているようなところがある。農業漁業と同様に、土木作業の機械化は進んだものの、仕事は屋外作業のため、天気によって大きく左右される。ようするに、雨が降れば工事はストップしてしまう。
 わりにのんきな処もあった土木屋サラーリーマンだが、最近深刻な人手不足がやってきた。給料が安い、休暇がない、危険がいっぱい。三K産業と呼ばれ新卒学生には敬遠されている。こうした中で多くの若い職員が転職していく。農業と共に国の経済を荷なってたきた土木産業にも、後継者問題を考える時期がきたのだろう。公共事業が増大する中で、かんじんな土木屋が激少していくとは、何とも皮肉なものだ。