夢経さんの家

オニムシの詩


オニムシの詩
 六歳の頃からつい最近まで、鬼虫に憑かれていた。
 クワガタ虫のことを県北地方でこう呼ぶのだが、二本角の外見をイメージさせるには絶好の呼び名だと思う。私が始めてこの虫を採ったのは小学一年の初夏だった。矢板市木幡あたりの小さなクヌギ林で見つけた。六本あるはずの足が二本とれている、三センチにも満たないコクワガタだった。
 この地方ではクワガタを、種類別に面白い呼び方をする。コクワガタのことは〈ドロボー〉と呼ぶ。この種は大きな個体がなく、歩き方などコソコソしていて素早い。大方コソ泥といった印象をうける。ノコギリクワガタのうち、大顎が曲がっている大きい個体を〈ワニ〉と呼び、大顎がまっ直ぐでギザギザした比較的小さい個体を〈ノコギリ〉と呼ぶ。ミヤマクワガタは深山だけあって里の林には少なかった。この種は頭の部分に突起があって恰好がよく、体には金色のビロードのような体毛が生えていて美しい。クワガタの大将に見えるのだが、なぜか〈ヘイタイ〉と呼んでいた。昔は子供にとって兵隊さんが、一番恰好よかったのだろうか。クワガタの牝は種類に関係なく、すべて〈ババ〉と呼んでいた。
 図鑑を買ってもらい本当の呼び名を知ったのは、昭和三十七年の小学三年になってからだった。昆虫図鑑を買った時は、いく種類もの本を比べてクワガタが一番多く載っている本を選んだ。
「俺、コクワガタのオニムシ採ったんだ。見せっから」
自慢げに、近所の上級生に見せた。
「何だ、ドロボーか。ワニのいっとこ教えてやっか?」
本格的に雑木林を歩き廻るようになったのはこの頃からだった。
 矢板市の北東に長峰自然公園がある。その北側一帯は通称〈裏山〉と呼ばれていた。当時長峰山には炭焼き小屋があったほどで、ナラやクヌギ類の雑木林が多かった。
 ススキやアザミの葉で手足をひっかきながら林に入る。中に入ってしまえば、あまり大きな下草もなく歩きやすい。足元はふかふかしている。落葉が菌類によって分解されているのだろう。少しカビ臭いような空気に包まれた別世界がそこにあった。
 あちこち歩いていると、足元からヒグラシが幾匹も飛び立った。少しでも曇ってくると、途端にヒグラシがあちこちで鳴きだす。雨蛙の鳴き声や、きじ鳩の声に混じって子供らの声が聞こえた。幹の穴をつっついたり、樹を揺すったり蹴ったりして採って歩いた。夏の早い時期には樹の根元を掘ったりもした。私は自分一人の秘密の樹を持っていて、そこに行くとたいてい、一、二匹は採れた。
 足利の東小に転校した時は、校門前にクワガタ売りがよくきていた。コクワガタは大きくても二十円止まり、ノコギリクワガタは五十円止まり、ミヤマクワガタは八十円位だったと思う。牝はみんな五円か十円だった。
 ある時、クワガタ売りの虫箱をのぞいていると、隅の方で小さく黒光りしている珍しい虫が目についた。
(これは図鑑で見たヒラタクワガタに違いない‥‥)私は家に向い夢中で走り出した。家に着くなり鞄を放りだし、十円玉を握り締めて学校に駆け戻った。
「おじさん、これ小さいから十円だろう?」
「十円だよ。いい色の選んだなー」
内心、(やった!)と、思った。おじさんは、ヒラタクワガタとコクワガタの、区別を知らなかったのだ。ヒラタクワガタは珍しく、後にも先にもこの時しか手にしていない。
 また別の日、妹が結構小遣いを貯めていたので、ノコギリクワダタを買わせた。そして自分は十円くらいのコクワガタを買う。数日たって、
「大きいのは挟まれると危ないから、取りかえてやるよ」と、話しを持ちかける。妹も怖くなり、
「危ないよね、お兄ちゃん」
まんまとノコギリクワダタを手に入れるのだ。その後も何度か、妹を騙してはクワガタを買っていた。
 飼育を始めた頃には鋸屑に入れ、餌には砂糖をそのまま舐めさせていた。
「塩を舐めさせると怒って喧嘩すんだぞ」
そんな事を聞いてやってみたが、もともと舐めはしなかった。その後脱脂綿に、砂糖水を湿らせて舐めさせた。いかつい外形からは想像も出来ないくらい、デリケートな茶黄色のブラシのような舌(?)を出して舐めていた。高校の頃には、果実を舐めさせたほうが長く生きる事を確かめていた。とりわけ、リンゴが一番いいようだった。それ以来リンゴを与えるようにした。小遣いをさいてリンゴを買ったのもこの頃だった。
 私達の過ごした子供の集団は縦社会だった。上級生からクワガタの採れる木の種類や、いそうな木の形を教わって成長した。また、そういった場所にいる危険な虫の事などを、上級生の体験等から、誇張して教わっていた。
 今の子供社会は横社会で、上級生から体験談や遊びを伝承される事は少ないようだ。悪くすれば、松の木や杉の木でクワガタを捜しかねない。最近は夏になると、デパートやキャンプ場の主催で昆虫採集が催される。引率者が子供らに、
「あの木の後ろあたりに、いそうですよ」と、そっと囁く。
そこには別の係員がいて、最初から持ってきたクワガタやカブトムシを素早く木にたからせる。
子供が、
「いたいた!お母さん。ぼく捕ったよ!」
松林を舞台に、とんだ茶番劇が演じられている。子供をこんな喜劇役者にしてしまうのは、ごまかす主催者が悪いのか、軽薄な親が悪いのか?何とも困った時代だ。
 この春から幼稚園に通い始めた長女が、虫かごと採集網を持って走り回っている。かごの中は、バッタやトンボばかりのようだ。最近自然は遠くなったとは言うものの、そのうち林の中でクワガタにも出会うだろう。そんな日が来ると再び我家に、オニムシの詩が流れだすのだろうか‥‥