夢経さんの家

通勤雑記(二編)


通勤雑記(古い二編)
 ずいぶん昔(平成五年頃)に書きかけて、未完のまま眠っていた作文があった。つまらない内容なのだが、リセットするにはもったいない。どちらも通勤に関わっているので、(通勤)として二つの作文を並べて残すことにした。

    朝のお馴染みさん(第一編)

 電車通勤も長期になると、特に朝の車内にはお馴染みさんが多くなる。その中から三人を紹介しよう。
 先ずは小手指駅で会う紳士から。
 この御仁、年齢は中年期の最終ラウンドに入った年頃である。身長は百七十センチ強、痩せ形で顔に特徴がある。簡単にいうとスルメイカを想像していただけばよい。イカの先端の三角形の部分に多少頭髪が残っている。
 電車の座席に着くと、胸のポケットから何やら手帳のようなものを取り出す。そしていつも、何やら口をムニャムニャ動かし始める。何を読んでいるのか?一度見てみたいものだと思っていた。
 ある日遂に隣の席になり、謎の解けるチャンスが来た。私は深く席に腰掛け、寝たふりをして薄目を開いている。予定通り手帳を取り出す。横目で覗いてみるとそこには何と、経文が書かれていたのだった。いつものムニャムニャは、題目を唱えていたのだ。少しでも声を出したほうが、ご利益があるのだろうか。
 少し経つと、何やらネギ臭い匂いがしてきた。納豆にネギをたくさん入れて、朝食をとってきたようだ。その悪臭が念仏と一緒に吐き出されてくるのだ。その日私は電車が終点に着くまで、毒ガスに見舞われていたのだった。なんと不幸な朝を迎えたことか。この日以降、彼を「念仏スルメ男」と呼び、危険視している。
 次に紹介する二人組。どう見ても、入社一年か二年目くらいの娘たちである。一人は身長、百四十センチ以下の小さな女性である。もう一人は、現代のスタンダードな背格好である。電車待ちの時も、乗ってからも
「Aちゃんがね、‥‥」
「そうだったの。じつはBさんがね‥‥」
この仲良し二人組、とにかく良くしゃべる。
 小柄な女性は顔に特徴がある。人の顔をとやかく言える身分ではないのだが、彼女の下顎が異様に出ている。よくよく観察すると、下の歯が上の歯の前に出ている。真横から見ると、昔祖母が薬草を煎じるのに使っていた、土瓶のような形をしている。
 東洋人の顔は一般に平面的で正面から見れば、よほど異様な形でない限りたいした特徴はない。それを横から、更に立体的に見ると千差万別の形になってくるのだ。
 もう一人の娘さんは、あまり特徴はないのだが、遠い昔に、どこかで見た気がしてならい。見かける度に思い出そうとしたが、まったく思い出せないでいた。それが初夏の頃、突然鮮やかに思い出したのだ。その答えは、小学生の時に使われていた、国語の教科書だったのだ。
 三年生の一学期、初夏を迎える頃だった。大きく開かれた窓から入ってくる、爽やかな風の中で、国語の授業を受けていた。本の文面は覚えていないが、その挿絵の中に彼女に似た顔があった。そら豆と一緒に書かれていた少年の顔だったのだ。
 国語の授業を受けていた時とまったく同じ気象条件が生じて、爽やかな風を受けた五感が、大脳の一部に残っていた、遠い記憶を思い出させたのだろうか?まったく不思議な話である。
 この二人には「アギとマメ」という名前を付けた。仲良しコンビが長く続くことを祈っている。

    稲城通勤風景(第二編)

 その朝、夜半から降り出した雨は上がっていた。まだ暗い道を駐車場まで十分くらい急ぎ足で歩く。車に乗込むと途端にフロントグラスが息で曇る。イグニッションキーを回し、エンジンを暖めもせず忙しく走り出す。
 九月の初旬から始まった下水工事の為、稲城市まで約三十数キロを通勤する毎日が続いている。いくつかの通勤路を試してみたが、さすがに三ヶ月も経つと一つのコースに落ちつくものだ。
 小手指の駐車場を出て、北野天神を過ぎる頃には車内が温かくなってくる。ユネスコ村を過ぎ、多摩湖の堰堤を通過。やっと東の空が明るんでくる。渡り鳥が静かな湖面に群れ、狭山丘陵も目覚めたようだ。旧青梅街道を東大和駅方面に向かう。
 バス停留所に出来た無言の列は、ほとんどの人がバスの来る方向を、じっと見つめている。次々に通過する停留所に同じ光景が続く。更に走ると、バス待ちの人数が徐々に減ってくる。電車の駅が近づいているのだ。やがて道路は、徒歩で駅に向う通勤客であふれ出す。車は西武拝島線の東大和駅を過ぎる。
 線路を超えると、今までの光景がまるで逆の形で続き始める。ただしバス待ちの客は、向って右側になる。そのうちに右側の客数が減ると左側の客数が多くなり始める。JR中央線を通勤路線にしている人が増え出すのだ。
 立川通りを立川駅の手前で左折し、陸上自衛隊(東立川駐屯地)を回り込んで、立川と国立の間にある踏切で中央線を渡る。その後、細い道を何度も曲がる事になるが、道は比較的すいている。南部線矢川駅の手前には桜並木が続いている。老木にはまだ木の葉が残っていて、風の強い日には素敵な枯葉の舞が見られる。駅に隣接した踏切を渡り甲州街道に出る。
 多摩川を越えなければならない。関土橋も是政橋も混んでいる。朝は橋の手前で渋滞が特に激しくなる。あちこちから車が橋に集中してくるのだ。当然、橋を越える時間帯は早いほどすいている。渋滞が始まる前に橋を渡ろうとスピードを上げる。本宿交番前の交差点を右折して、関戸橋を越えればひと安心。ここは鎌倉街道と呼ばれている。
 ここからが技となる。熊野橋の信号を左折し桜ヶ丘公園の西側を回り込み、細い道をくねくね進む。近道のポイントは、多摩カントリークラブを横断している山道を突き抜けるとこにある。道は細くて悪いが、かなりの近道になっている。ここを通り抜けると、一般道路が高速道路に感じる程だ。軽快に東に走り稲城市役所の前を通過。さらに榎戸の信号を右折すると、現場がある京王よみうりランド駅に着く。
 朝のお疲れ通勤が終わると仕事がすぐに始まる。
 よみうりランドに遊びに来たのなら、同じ運転でも疲れ方が違うのだろう。
 さあさあ、朝礼だ。