夢経さんの家

般若湯


般若湯
 昨夜もSさんと酒を飲んだ。時々、あちこちでいっしょに飲んでいるのだが、二人だけで飲むのは何ヶ月ぶりかのことだった。焼酎のボトルを一本入れ、飲みきって終了となるのが二人のパターンだ。Sさんとのつき合いは長く、二〇年以上になる。自分は後輩であるのに、同僚のような扱いを頂いている。郷里が近いので気が合うのだろう。
 サラリーマンの酒は、会社や上司の悪口を言って気分をリフレッシュさせ、明日への鋭気を養うためにあるようなものだ。しかし何と、今日の話題は般若心経であった。
「ところで、般若心経を知ってるか」
「知ってはいるけど急にどうしたんですか」
最近、般若心経の本を持ち歩き、勉強をしているとの話だ。
 実は私、月に一回の写経をする。始めたころは、週に一回だったのだが、やはり凡人こんなペースになったのだ。別段、宗教心が強いわけではない。何となく落ち着くのだ。
 般若心経はインドの仏典言語が、中国で漢字に書き直され日本に入ってきた。だから漢字の意味から、すべての内容を理解することはできない。Sさんはかなり勉強しているようだ。
「般若はパーニャと言って、知恵の意味で、心経は教えのようなものだ。要するに知恵の教えが書かれているんだ」
「そうですか。般若は鬼のお面かと思っていたのですが、やはりサンスクリット語だったのですか」
「おおー、サンスクリット語ときたな。おまえも勉強したのか」
「少々。まあ、取りあえず作りましょう」
「濃いめにしてくれよ」
ご指導は続き酒量は進んだ。
「S先輩、般若が知恵の意味なんだから、般若蕩は知恵がつく飲み物なんですね。酒はやっぱり尊いものだったのですね」
「そのとおーり」
尊い話を肴に、尊いボトルは空いた。
 今宵は酔い心地が良く、更にひれ酒を二杯ずつ飲んでしまい店を出るのが少し遅れた。Sさんは遠方に住んでいる。二人は特急に間にあうように駅に急いだ。電車はすでに来ていて、Sさんがホームに走りこむと、無情にも特急の扉が閉まった。ため息をつきながらホームを歩いていると、何としたことか?仏陀の慈悲か?再び特急の扉が開いたのだ。すかさず飛び乗り大成功。電車は走り出した。
 電車を見送ってから、私は各駅停車に乗り込んだ。座席に座り目を閉じ考えた。(今日の酒、いや般若蕩の、話題が実によかった。あそこでドアが開くとは、まさに般若心経のご利益だ)
電車が走りだすと、心地よい揺れの中で眠りの神に導かれるまま、体は遠離一切顛倒夢想、心は究竟涅槃にはいっていった。
 もちろん般若蕩の功徳の賜物である。