夢経さんの家

老犬


老犬
 「ラッキーもここまでしてもらえれば幸せよね」
その家の前を通りがかった私に、ふとそんな話し声が聞こえてきた。(ラッキー)とは、某夫人の飼っている犬のことだ。小型のコリー犬かと思っていたが、シェットランド・シープドッグという種類らしい。もちろん子犬の時から見知っていた。最近は歩くのがやっとのようだったが、死んでしまったのだろうか?
 日本でのシープドックの平均寿命は一一歳、人間にすると六〇歳くらいらしい。犬の寿命は、チワワと小型雑種犬が一番長く、それでも平均一四年とのことだ。栄養を考えたドックフードや良い飼育環境が整うと、さらに四年から六年くらい長生きをするらしい。ラッキーは一五歳、人間で七六歳くらいになる。
 私が少年の頃かっていた犬は(クロ)という名の雑種で、四年たたないで死んだ。昔はあたりまえだった汁かけ飯と、魚の骨などを食べていた。中小型犬の人間換算年齢は、二年で二四歳、三年目からは一年に四歳を足すらしい。人間でいうと三〇歳そこそこで死んだことになる。人生、いや犬生半ばで死んだ。 特に哺乳類の動物は、なついてくれるので飼うのが楽しい。ペットは可愛いものだ。しかし、最後には必ず悲しい別れが訪れる。
 老犬を見るといつも思い出す犬がいる。思い出はやはり少年時代にさかのぼるが、隣の大家さんが買っていた秋田犬のことだ。老犬とはいっても、まだまだ足腰はしっかりしていた。この茶色い犬は(ロウ)と呼ばれ、路地裏のボスで、放し飼いになっていた。
 私たち家族が、足利に越してきたのは、昭和三十九年四月だった。借家のある路地に入ると、大きな犬がのっそりと近づいてきた。私の匂いを嗅ぎ、顔を見て通り過ぎた。妹たちは怖がっていた。まるで、隣の住人になる私たちを、ゆっくりと見定めているようだった。その後は、私も妹たちもロウとすっかり仲良くなっていた。とても頭のよい犬で、路地を出て大通りを渡るときは、信号待ちをして渡っていた。不審な人が路地に入ってくると威嚇する。最高に強い番犬でもあった。
 ある日、給食のパンを残してきて、あげたが食べない。
「おばちゃん、ロウはなぜ食べないの?」
隣に住む大家さんに聞いた。
「ロウは、子供のころからカステラをあげていたから、普通のパンは食べないのよ」
カステラなど、めったに食べられない私は、びっくりしたものだ。
 夏の夕方、
「ドーン、ドンドンドーン」
足利花火大会の開催を伝達する花火が、数発鳴った。
「ロウ!あがってきちゃ駄目だよ」
妹が一生懸命、犬を押し戻そうとしている。ロウは、我関せず。ゆっくり居間の畳の上を通り過ぎ、奥の風呂場に入った。私も何とか引っ張り出そうとしたが、座り込んで動かない。
「おばちゃん!ロウが風呂場に入って動かないんだよー」
隣にとんで行った。すると、
「そうそう、話すのを忘れていた。昔は私も、あなたの家に住んでいたの。ロウは花火の音が怖いらしく、子犬の頃から花火の日には、風呂場に逃げ込んで、出てこないのよ。毎年そうなの。花火が終わると出てくるから、ごめんね」
強いロウにもこんな弱みがあったのだ。
 昭和中期の長閑な時代とは違い、今の犬は初めから家の中に住んでいる。中には、一家の主人より大事にされている犬もいるようだ。外を好き勝手に走り回る自由のない犬は、寿命が延びても少しも幸せではない。
 日本人の寿命は、食事事情の向上や、医療の進歩で八0歳台に達した。しかし、寿命の延びと、人生の幸せは比例していないようだ。