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昭和三十年代。山の木々が緑を濃くし、ニイニイゼミが初夏を告げる頃、クヌギ林はオニ虫(栃木県北地方でクワガタムシをこう呼ぶ)取りの子供達で賑わう。私はこの大顎のある昆虫が好きで、ランドセルを背負ったままで林の中を走り回っていた。 そんなある日、 「つねおちゃん、オニ虫いっぱいやっか?」同級のたかおちゃんが言った。 「ほんとうか?」 「ああ。俺はオニ虫ロボットを持ってからいくらでも取れんだ」 「すげーな!」 彼が言うには、ラジオ屋のトッコちゃんが無線コントロールのロボットを持っていて、電波を送ると飛んでいって、いくらでもとってくるのだそうだ。ラジオ屋の店内で真空管をいじっている姿は、不思議な世界を感じさせていたものだ。今日はどの山に飛ばして、何匹取ったなどと話してくれた。 「俺もトッコちゃんに頼んで取ってもらうかなー」 「ロボットは秘密の話だし、今は無線が壊れてっからだめだ」 と言う。 何時ものようにロボットの話を聞きながら二人で歩いていると、おりよくトッコちゃんが通りかかった。 「トッコちゃん。俺にもオニ虫ロボット貸してくれよ」 「何だよそりゃ」 「たかおちゃんが使っているやつだよ。なー、たかおちゃん!」 「なんの話だ。俺知んねーぞ」 「ふざけんなよ。今まで話してたじゃねーか」 「俺知んねーぞ」 私は怒って、つかみかかっていた。 「けんかすんなよ!」 私を止めると、トッコちゃんはさっさといってしまった。 「何でうそ言うんだよ」 「俺何も言ってねーぞ」 そんなお伽話のようなうそでも、信じてしまう子供だった。 学校での国語の時間、先生がお下げ髪の女の子を立たせて、 「こういう髪形をなんと呼ぶか知ってる人?」 「ハイハイハーイ」 大声で手を上げた私を先生は指名した。自信たっぷりに答えた。 「それは豚の尻尾です」 先生は涙を流さんばかりに笑いこけていた。何ぜか、同級生達も笑いこけている。私は何ぜ笑っているのか、わからないまま唖然としていた。 昨日の夕方、買物についていったとき母親が隣のおばさんと、その髪形をしている娘を見て、 「ありゃー豚の尻尾だね」 と話していた。自分でも勝手にだまされる子供だった。 羽田には立ち飲みをさせる酒屋がある。夕方になると、工員やら重機のオペレーターやらが集まってきて、賑わっている。店の片隅に粗末なカウンターがあって、定価で酒を売っている。つまみは、袋物の落花生やら裂きイカを、これまた定価で売っている。コップや皿、調味料はサービスなのだろう。ここでつっ立って一日の話をしないと、明日が来ない連中ばかりなのである。 そんな場には不釣合いな初老の客が、わたしに話しかけてきた。 「こう言う所の酒はいいね」 「そうですね」 「私は航空関係の仕事をしているので、ここでの一杯は生き返るよ」 いかにも重役のような落ち着きで話す。 「N社の偉い方ですか?」 「いや私はZ社のほうだよ」 その後、飛行機を買うときの苦労や、パイロットの管理の難しさを、淡々と話してくれた。感心して拝聴している私に、 「明日も忙しいから私は先に失敬するよ」 冷たいビールを一本開けさせて置いていった。 その客が出ていくのを待って、友達が言った。 「つねさんも話を合わせるのがうまいや、ビール一本得したね。あの人は整備工場の入り口にいる看守だぜ」 うまいも何も、航空会社の重役だと信じ切って話を拝聴していたわけで……。こなふうだから、飲屋の女性にかかっちゃ何度だまされたことか? そんな私に皆が言う。 「だますより、だまされるほうがいいんだぜ」。 (だまし絵) 若い女性の横顔or老婆の横顔に見える |
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