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平成十三年一月、仙台に赴任した。この時から気にかかる山があった。妙にとんがった山で目立つ。釣鐘のような小さな山がポツンとある。仙台に住んでいる同僚に聞いてみた。 「東北道の仙台南インターあたりに、おっぱいみたいな形をした山があるだろう」 「あるある、それは太白山だよ」 「急な山だよな。登ったことあるかい?」 「ないよ」 「ずっと仙台にいて、登ってみたくならなかったかい?」 「別にならなかったなー」 何人かの同僚にも聞いたが、登ったこともないし、あまり興味もないようだった。仙台には五つの区があるが、そのうち二つの区が山の名前を使っている。泉ヶ岳のある泉区、太白山がある太白区である。もっと関心を持ってやらないと、山が可哀そうだ。 平成十六年に入って、仙台も今年が最後かと思うと、例のトンガリ山が気になった。 (今年は必ず登ってみよう)と決めた。先ずは情報収集だ。インターネット上に、かなりの情報がある。 付近に点在する古墳からみて、縄文時代から信仰の対象になってきた山らしい。確かにそんな形だし、際立って目立つ。昔から(独活〈うど〉ヶ森・おどが森・生出森)と呼ばれていた。現在の山名は(太白星=金星が落ちて山ができた)という伝承に、由来しているとのことだ。変な形のもっこり山は、(仙台富士または名取富士)と呼ばれていると書かれている。富士の名を頂いている割には、さほど関心を持たれていないようだ。あまりにも山が低いせいだろうか。 標高は三二〇・七メートル。確かに低い。 しかし、山の前方はすぐに仙台平野となり、低くても目立つのだ。沖合いからも容易に確認できるので、漁師たちの目安になっているようだ。 安山岩からできている山で、溶岩が地表に出ることなく冷え固まり、まわりが侵食されたのが太白山なのだそうだ。(金星が落ちて‥‥)のほうが、夢がある。実際に、あたり一帯は自然の宝庫で、夢がいっぱい溢れている。ニホンカモシカやツキノワグマが、話題になることもある。 雑木林にはカタクリが咲き、ニリンソウの群落もある。ふもとはスギで覆われ、樹令は八〇年といわれている。鳥は九〇種の生息が確認されているとのことだ。私には、ホオジロ、シジュウカラ、ヤマガラあたりがお馴染みで、あとは良くわからない。昆虫も種類が多く、昭和中期には昆虫採集地として、大いに賑わっていたそうである。暖かくなると、ヒメギフチョウも姿を見せ、かなりの生息数が確認されている。 太白山の北麓を源流とする笊川には、トンボを始め、多くの水生昆虫が生息する。カワゲラやカゲロウ、造巣性のトビゲラもいるらしい。その清流には、カジカガエルも住み、澄んだ鳴き声を聞かせてくれる。 太白山には二つの神社が祀られている。頂上には、八〇七年に京都から勧進したといわれる貴船神社が、中腹には一一八九年に、源頼朝が鶴岡八幡より勧請したとされる八幡神社がある。戦前までは戦の神として、胃病の神として、数多くの人々が、秋保軌道を利用して参拝したという。 大正三年、長町〜秋保間に、馬車軌道が引かれ運転を始めた。その後大正一四年に、秋保電気軌道として、電車が走った。八幡神社の祭りの日には、太白山の付近に臨時駅を作って、参拝客を昇降させていたとのことだ。かなりの信徒がいたに違いない。この路線は、昭和三六年五月まで運行して、廃線となった。 六月に入って山登りを計画した。登る道筋がいくつもあり、特に自然観察センターからのルートは多い。いずれの道筋も山の中腹にある八幡神社までのようで、その先は東側のチェーンを張った岩場が一般的なコースとなっている。自然センターから山頂までの水平距離は、せいぜい二キロ未満で、高低差は二四〇メートル位である。山頂付近には、一気に八〇メートル近く登らなければならない難所がある。三〇度近い勾配になる。 帰りには、酒を飲むこともあるかと思い、公共交通機関を使うことにした。地下鉄で長町南駅まで行き、その先は宮城交通バス(山田自由が丘行き)に乗り、(公営アパート前)で降りる。バスは一時間に一本しかなく、九時三七分発のバスを考えた。目的の停留所には十時頃に着く。自然観察センターを経由して太白山を目指す。山頂での昼食も含め、三時間半のゆったりした行程で計画した。帰りのバスは十三時三五分の予定である。こういった遊びに同行してくれるのは、小学校からの友達、Mちゃんくらいしかいない。還暦二人連れである。楽しみに準備を進めていたが、雨で流れた。 十月二十五日に再度挑戦が決まった。今回は公共交通機関を使わず、Mちゃんの自家用車で登り口まで行くことになった。途中のコンビニでお茶とお握りを買い、店員さんに登り口を聞いてそこに向う。当初予定していた、自然観察センター経由ではなかった。案内どおりに、太白団地内の道路をあがっていった。東北自動車道の上に橋があり、いきなりそこで道が終わっていた。当初は、この先の計画もあったのだろう。今はいっさい手付かずになっていて、道の端は突然自然に包まれる。色づいたケヤキの街路樹もそこで途切れ、風で波打つ紅葉の向こうに、太白山が見えた。 時計は十時を回っていた。改めて地図を調べると山頂までは、水平距離で一・五キロ程度だ。二人の還暦組は軽い気持ちで歩き出した。平地をほんの少し歩くと、いきなり丸太作りの階段になった。高さ一〇メートルほどの階段を一気に登った。これだけでも結構息が切れる。上では自然観察センターから来た道が合流していた。息を切らしながら山道を進むと、またもや階段がある。 「また階段だよ」 「こんどはけっこう長いなー」 二〇メートルくらいの高さを登る。ここも若いつもりで一気に登った。登ったのだが、二人とも座りこんでしまい、早速、最初の休憩となってしまった。冷えたお茶がうまい。 五分位休んだろうか?二人は立ち上がり、涼しい風を感じながら歩き始めた。その先には大きな道案内があり、自然観察センターからくる別ルートが合流していた。道案内に沿って木立の中を進むと、右上に休息所らしい建物が目に入った。そこを目指して真直ぐ登れば近道だ。 「Mちゃん、この坂を行こうか」 「だいじょうぶかい」 「絶対近道だから行こうぜ」 勾配二〇度位の坂を、またしても一気登った。近道が終わり、勾配の緩くなった坂道をさらに進むと、見えていた建物に着いた。二人はここまでで、ほとんど体力を使い切っていた。息は切れ、汗は止まらずに噴出し、心臓は、ここ何年も忘れていた鼓動を打っている。私の着ていた長袖の下着は、汗が絞れるかと思えるほど濡れていた。 (このままでは絶対風邪をひく) 建物の隅で裸になって下着を変えた。お茶をあおり、ぐったりしている二人の脇を、杖を突いた夫婦が悠々と通り過ぎて行った。 (この夫婦、どう見ても年上だ) この人たちは、ゆっくりと傾斜の緩いコースを来たようだ。 確かに急ぐ必要はないのだ。急ぎたがりの私の頭は、少年のまま成長が止まっていたのだ。しかし、体は成長しすぎて、老人のものになっていたようだ。子供の頭と老人の体では、最悪の組み合わせだ。 呼吸が落ち着いてくると、初めて周りが見えだした。左手の一〇メートルほど上がったとこに八幡神社があった。登山道前方の朱色の鳥居は壊れている。先の地震で壊れたのだろう。誰も治す人がいないようだ。休んでいた建物の後ろには大きな石があった。ほかにも大きな石があるが、見るからに人間が手を加えたような形をしている。きっと昔、誰かが砦を築いて住んでいたのだろう。山賊かもしれない。考える余裕も出てきた。 八幡神社に寄った。本来の参拝路は崩れていて行けない。二人は岩のごつごつした坂道を登った。小さな社殿は傷んでいる。輝きを失った古びた鈴と、何本も垂れている汚れた紐が、静寂の中で長い歴史を語っていた。 参拝はすませたが、登山道に出るには、今登った坂を、また降りなければならない。 「Mちゃん、社の後ろを抜けようよ」 「だいじょうぶかい」 そこは通行止めになっていた。 「お参りしたからだいじょうぶだよ」 私の頭の中はやはり成長していない。 何とか抜け出し登山道に戻った。勾配のきつくなった狭い道を行くと、さらに急勾配の岩場が現れた。ロープやチェーンが張ってある。五〇メートル以上の高さはある。勾配のきつい場所は三〇度を超えているだろう。足元に浮石は見当たらない。多くの人が登り降りしている証拠だ。 チェーンを手に上り始めた。どの岩肌を次の足場にするか、考えながら進む。場所によっては、チェーンが逆に危険になる場面もある。ゆっくりと登っているのだが、無謀な道行きで体力を使いすぎていて、とても一気には登れなかった。途中で休んで頂上を見上げた。気持ちが萎えてくるのがわかる。ここでも茶を飲み、喉の渇きをとった。何とか最後の力を振絞って登ってゆくと、チェーンは終わった。しかし、まだ頂上まで五〇メートル以上坂が続いている。この短い距離が五〇〇メートルにも感じた。 ふらふらと頂上の石に腰掛ける。救急車のように忙しい心臓が落着くまで、荒い呼吸を続けた。まるで蒸気機関車のような息使いだ。 やがて息が整ってくると、首筋にさわやかな風を感じた。山頂には貴船神社があり、遠く仙台南部の市街地も見えている。やっと余裕が出てきた。 (太白山頂上海抜三二〇・七m) 真っ先に山頂の高さを標した看板を写した。時計は十一時半前をさしている。登り始めてからの時間は短いが、近年経験したことのない、きつい時間帯を過ごした。 「Mちゃん、とにかく疲れたね」 「疲れたよ、日頃の不摂生がでたな」 「若くないね、俺たち」 「まったくだ。つねお、これ食べろよ」 乾燥した梅干しが渡された。いくつも頬張った。心地よい塩分に、疲れが溶けてゆくのを感じた。 「準備がいいね」 「さっきのコンビニで買ったんだよ」 Mちゃんは大人だ。私は疲れが出るからと思って、お握りと一緒に甘いパンを買った。この糖分は場面が違う。塩分が先だったのだ。 とんがり山だけに頂上は狭い。相当広く見積もっても二〇〇坪はないだろう。石が点在して、しかも傾斜が付いている。この季節は落葉が進み、木立の間から周囲を見渡せる。仙台市街の先にある海は、霞んで見えなかったが、名取の住宅地や、仙台大観音の先にある泉ヶ岳も見渡せた。冬の快晴に登れば、最高のパノラマが広がっているに違いない。貴船神社の小さな社をよく見ると、熊の木彫りや、ガマガエルの陶器が置かれている。貴船神社は水神を祀っているはずなので、置物が何を意味するのかは不明だ。 「昼にしようか」 「そういえば腹減ったね」 ワカメをまぶしたお握りを食べだすと、Mちゃんも同じものを買っていた。 「さっぱり系が一番だね」 どちらともなく言った。 記念撮影のシャッターを、お願いしようと周囲を見ると、山に来慣れている人なのだろう、カップ麺を作って食べている方がいた。取りあえず話しかけた。 「ここに登るには、あのチェーンの道しかないんですか?」 「北側と西側にもあるけど、勾配が急すぎて、木をつかみながらしか登れないよ。これから俺は西の道を降りるんだけどね」 「食べ終わってからでいいんだけど、シャッターを押してもらえますか?」 「ああいいよ」 二人が並ぶと、食事をやめてカメラを構えてくれた。 「一たす一は?」 「にー」 いい写真が撮れたようだ。 下山は、最初の岩場を慎重に降りきれば、いたって楽だ。ただし、膝は笑い出しそうだった。四〇〇メートルほど遠回りをしたが、四〇分足らずで出発点の車に着いた。 「風呂に行こうか?」 帰る途中、スーパー銭湯(G湯)に寄った。釜風呂のような低温サウナで汗をかき、露天のすわり湯に並んで寝そべった。疲れを癒しながら、 「あー、最高の気分だね」 「ついさっきまで、あんな急な山に登っていたなんて嘘みたいだね」 「しかし念願がかなってよかったよ」 「それにしてもきつかったな」 還暦の歳を感じつつ、二人は、 (なめて掛ってはいけない山だ) と痛感していた。 ![]() |
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