夢経さんの家

遠い日を訪ねて


遠い日を訪ねて
 ホームから見える鉄錆色のレールは、残暑と湿った空気の中でゆらめいている。この線路の終着の町で三十年前に過した、小学生の頃を思い出していた。
 今日の旅は、当時の私と同じ小学四年生になった十歳の長女と、二歳年下の次女が一緒である。私が娘達の年頃に過ごした町を見せてやりたいと思ったのだ。

上の娘が私にたずねた。
「この『とり』っていう字、真ん中が一本無いよ!」
「一本足りないと、『からす』って読むんだよ」
「ふーん。カラスは頭がいいから、一本足してやればいいのにね」
ホームの行先案内を見ていると、ディーゼル機関の重いエンジン音が近づいてきた。
 東北本線宝積寺駅から東へ枝分れする、烏山線に乗込む。
「前に乗った八高線と同じような電車だね」
「電車じゃなくって、ディーゼルカーって言うんだよ」
宝積寺駅を出ると、列車は徐々にエンジン音を高め、大きく右に旋回した。ススキの茂った土手を抜けると、東北本線との別れだ。
 トロリー線のない線路は何か寂しい。置いてきぼりを喰った田舎道だ。暑さの中で実りを育む水田の中を、一両だけの列車がゆっくりと走っていく。天井で回る扇風機に緑が反射し、稲穂を渡る風の匂いが、全開された窓から流れ込む。
 終点までには七つの駅があるが四つは無人駅である。二十年程昔だろうか?宝積寺駅から大金駅までの乗車券と、大金駅の入場券がブームになったことがあった。今は各駅に七福神を配して、村興しをしているようだ。
 大金駅を過ぎると山林が多くなり、やがて、両側に玉石を積み上げた擁壁が現れトンネルに入る。石積みに使われている粒のそろった玉石は、付近を流れる荒川や那珂川から運んできたのだろう。中に入ると冷やりとした空気が充満する。トンネルが近づくと乗客が一斉に窓を閉めている光景が、ぼんやりとした記憶の中で、蒸気機関車と結びついて蘇った。
 暗闇を抜け、最後の無人駅を過ぎると、右手に龍門滝が見える。蛇姫伝説を今に残し、豊富な水を落とし続けている。
「わー!滝が見える。駅の名前も、たきって書いてある」
娘は、身を乗り出している。
 一帯に広がった梨畑は、短い成虫の期間を忙しく暮すセミの鳴声が満ちていた。セミは幼虫時代を、土中で四年から五年間過すという。今鳴いているセミは、私が捕中網を持って追いかけた時代からだと、七世代目位のセミなのだろう。
 特産品でもある長十郎の皮は、セミの抜け殻(焦げ茶)色をしていて固い。子供の頃、私は梨が食べたくて、祖母にねだって時々むいてもらった。包丁に当てた梨を上手に回転させると皮がむけ、外見の痘痕面は、白くて瑞々しい上品な顔に変わっていった。当時観察した蝉も同じで、茶色の殻から脱皮すると、美しく透きとおった羽の成虫に変わった。そんな思い出の中、周囲はだんだんに家が多くなり、やがて集落となり終着の烏山駅に着いた。
 列車を降りると思わず微笑んだ。駅舎はまるで変っていないのである。
 さすがに待合場の椅子は、当時の木で出来た長椅子から、カラフルなファイバー製のイスに変っていた。しかし、券売機以外は、ほとんど昔のままなのだ。腕白時代に漫画雑誌を買いにきていた売店も同じ場所にある。私は懐かしさに包まれて駅を出た。
「さー、お父さんの住んでいた家と、小学校へ行ってみるぞ」
細い抜道に入り込んだ。
 路地裏には当時のままのトタン屋根の家が多く残っていた。(もう少し先が、昔住んでいた社宅だ)何時しか早足になっていく。
「あれ!‥‥」
そこはがらんとして、駐車場のコンクリートが、夏の太陽を眩しく反射するだけだった。あの家は無いのだ。
「お父さんの家、なくなったの?」
「うん、ないなー。隣の家はそのままなのになー‥‥」
歳月は確実に流れていた。
 通い慣れた裏道を抜け小学校に到着すると、感傷は更に高まった。過ぎし日の小学校はプールやら体育館になっている。よほど前に、移転したらしい。
 校庭の南隅には、薪を背負った少年の像が寂しく残っていた。三十余年の風雨の中で、本を読み続けていた二宮金次郎は風化している。
「北側へ行こう、景色がいいぞ」
「のどが渇いたよ。アイスクリームを買っておくれよ」
二人は暑さに参っているようだ。娘達の置かれている状況を忘れていたのだ。
「あそこの店で買っといで」
「お父さんは何がいい?」
「そうだなー。一番固いアイス」
子供達は走っていった。
 北側の崖から八溝山地を見渡した。山裾には昔ながらの姿で那珂川が流れている。過ぎ去った遠い日を訪ねて見つけた、私にとっての一つ一つの思い出と感動。これらは今の娘達にすれば、ただの退屈にしか過ぎないようだ。しかし、これから先の遠い日に、今日の出来事が、娘たちの思い出の一コマになるのかもしれない。
 遠い日を見ながら食べるアイスキャンディーが、甘酸っぱく口の中に広がっていった。