夢経さんの家

古戦場のある街


古戦場のある街
 西武線で池袋から約四十分。
 駅名〈小手指〉
 読み方もわからない駅に、初めて着いたのは、昭和五十一年の春だった。街と呼ぶには程遠い駅前は、雑草の織りなす緑の中に、タンポポの黄色をちりばめた、鳥や虫達の楽園だった。学校を卒業したばかりの私は、この「こてさし」にある会社の独身寮から、社会人の第一歩が始まったのだ。
 電車が走り出すのを待って構内の遮断器が上がる、一つだけのホーム。夕方になると、ただ一軒の駅前商店が店を出す。焼き鳥の屋台が電気を灯すのだ。
 「おじさん!ビールと焼き鳥五本、塩で」
数人の同僚と、商店街の発展に寄与して帰るのも、日課の一つだった。
 休みの日は、付近に点在する雑木林を散策するのが楽しみだった。秋風の中、軟らかく積もった落葉の小径を散歩する私は、武蔵野の(日曜独歩)、といったところだ。林を抜ける風が、日増しに冷たくなってくる頃には、木々の間に、遠く青々とした富士山が姿を見せはじめた。
 歴史上、古い時代に地名が出てくる。
 元弘三年(一三三三年)五月八日。新田義貞は、鎌倉にいる北条高時を攻めるため、群馬県新田郡、生品明神で旗挙した。十日には入間川の北岸に到着し陣を整える。 一方鎌倉幕府は、義貞の挙兵に驚き、桜田貞国を将とする軍勢を、「小手指ケ原」に向けて発進させた。
 五月十五日、両軍相まみえたのだが、その日のうちに勝敗が着かず、新田方は入間川に、北条方は久米川に退いた。翌日、再び合戦となり北条方は敗れて今の府中まで退く。その後二十二日、義貞は遂に鎌倉を攻め落とした。
 当時の古戦場跡が、駅の近くに数多く残っている。義貞が源氏の白旗を立てたと言われる「白旗塚」をはじめ、「誓詞が橋」、「兜掛けの松」などである。
 現在は駅から白旗塚を回り、北野天神へと続く歴史散歩コースが狭山の茶畑の中にある。
 入社二年目以降この地を離れていたが、何度かの転勤の後、昭和五十九年から再びこの街に住むようになった。私は家庭を持ち、三人の娘が誕生した。過ぎ去った時代と共に風景も変わり、緑と黄色の草むらだった空地は、コンクリートの白い建造物が混在する空間に変わった。
 駅は跨線橋の上に移り、ホームも二つに増えた。出入口が南北にでき、駅前からは路線バスも出ている。都会風の綺麗な店舗や、モダンなアパート、マンションが駅付近に立ち並び、焼き鳥の屋台はもちろん残っていない。大規模な建物があちこちにできたが、それでも周辺には、まだまだ雑木林や茶畑が残り、過ぎた歳月を懐かしく思い出させてくれる。
 西武ライオンズの誕生により所沢は全国に名が知れわたり、小手指もちょっぴり名をあげた。こちらは、ライオンズよりも、漫画タブチくんのほうが功労者なのだろう。近所のマンションに田淵選手も住んでいた。
 独身時代と現在と合わせて七年。人生の五分の一をこの地で過ごした事になるが、今後何年住めるのかは、会社まかせのサラリーマン。さしずめ、古戦場跡のある街小手指は、企業戦士達の休息地になったようだ。