夢経さんの家

鉄の馬


鉄の馬
 風の中を走り抜け、悪代官と戦う白馬童子。白馬がいななき町から町へ、悪者を退治するローンレンジャーと、連れのインディアン、トント。何時しか私もヒーローになり、竹箒に跨って走っていた少年時代。何処にでも行ける馬が欲しかった。

 三十八才の春、意を決して自動車学校の受付窓口に行った。
「普通自動車ですか?」
「いーえ、オートバイの中型を受けたいんですけど」
「えっ、二輪ですか!」
 若い事務員は、けげんそうな顔をしたが、手早に入学の説明をし、記入書類を渡してくれた。
 普通車の免許を持っているので、実技は九時間で卒業検定となるのだが、教習時間を三時間もオーバーした。
 平均台という教習課程がある。幅三十センチ、高さ五センチ、距離十七メートルの台上を、七秒以上の時間をかけ、ゆっくり通過しなければならないという、バランス感覚を必要とする教程だ。四十路近い私の平衡感覚は、十代、二十代のそれとは違っていた。平均台を通過できたときは時間が短すぎ、ゆっくりと時間を掛け通過しようとすると、途中で落ちてしまう。この段階の練習を何度も繰り返した。
 休日と、仕事の合間に空き時間を作って、教習所に通った。免許が取れた頃には、梅雨が過ぎていた。その夏に、真新しいアメリカンバイクを買った。あの遠い日から三十年の後、ついに現代の鉄の馬を手に入れたのだ。

 八月末の残暑の中、栃木県の国道四号線で愛馬を駆っている。重い風をきるバックミラーの中に、白くにじんだ積乱雲を見た。入道は秋雲に主役を渡すまいと、必死に立ち上っている。その時ふと、海が見たいと思った。
 現地点からいちばん近い海は、高萩海岸辺りになる。百キロ程の道のりだが、距離はあまり気にならなかった。道筋に信号機は少なく、平均時速五十キロ以上は確保できると思ったからだ。
 国道4号線を東に九十度折れ込み、スロットルを絞りこんだ。氏家町、小川町、那珂川を過ぎ、馬頭町に入る。さらに大子町を目指し八溝山地の県道を、車体を幾分傾斜させながら緩い曲線を辿っていく。V型エンジンの、静かな振動と響きが体を包む。
 久慈川を過ぎ水府村に入ったあたりで、どうやら道を間違えたらしい。道がどんどん狭くなって、ついに農家の軒先をかすめる程になった。とにかく東へ向かえばいい。
 磁針がなくても時計が有れば、方位はわかるのだ。先ず時計の短針を太陽に合わせる。十二時の文字位置と、短針との角度の真ん中が南になる。多少の不安を感じながら集落を抜けると、道が開け山間に水田が広がった。 
 風は稲穂の香りを運んでいる。農道の片側に、並んで植えられたカンナの花が、次々に後ろに飛び去り、やがて針葉樹林の脂臭い空気の中に入った。細い山道だが、簡易舗装が施されている。オンロードバイクでは少しきつい感じであるが、車の通った跡がある。
(よし、行ける)
シフトをおとした。同時に上がったエンジン音は、高く伸びる枝の中に吸い込まれていった。
 山側からの湧水で濡れている小さなカーブを、一つ一つ丁寧に抑え込む。幾重にも繰り返すと、だんだん前方が明るくなり、正規の道路に抜けた。阿武隈山地の南端を横断する県道である。
 道を下り花貫ダムを過ぎると、人家が見え始める。点在する民家が、道路に添った線状に連なりだし、やがて線は面になり広がる。国道6号線を渡るとすぐに太平洋だ。赤松の古木が海辺の町に良く似合う。
 海岸の砂浜近くまで乗り入れ、イグニッションキーを外した。エンジン音が消えると、潮騒は途端に大きく響いた。ヘルメットを外し、顔中を潮風の中に浸した。少し下がって海を眺めると、オートバイが海の中に入る。秋混じりの柔らかくなった光線に、海は緑掛かって見え、鉄馬のガソリンタンクが、太陽を反射して輝いている。
 遥か沖の水平線と並んだ黒いシートに、遠い日に憧れた白馬の想いが映った。山国で竹箒に跨り、狭い路地を駆け抜けていた少年も、海の向こうに思い出を追いかける歳になったようだ。