夢経さんの家

千代田の蝉


千代田の蝉
 毎年、青春を思い出させてくれるアジサイの花も、今年は空梅雨のせいで年老いて見える、そんな六月末のある日。
「お父ちゃん、セミはいつ鳴くの?」
突然、三才になった娘に聞かれた。私の昆虫図鑑でも見ていたのだろう。
「夏になったら鳴くよ」

 蝉の鳴き始め……。何年もの間、気にもとめなかったことだ。確かめてみよう。毎日地下鉄で行く工事の打合せに、明日からは自転車で行こうと決めた。
 事務所のある飯田橋から南に靖國神社を抜け、内堀通りを半蔵門へ向かう。半蔵門から国立劇場裏の坂道を下りきったところまで約二.五キロ、自転車で二十分程の道程である。打合せの帰りには、半蔵門から千鳥ケ淵公園にはいり、午前中の人気のない園内を、ゆっくりゆっくり走る。この公園は、幅二十五メートル、長さ約四百五十メートル位の細長い形をしていて、中央にソメイヨシノが並んでいる。
 大正三年、消防訓練所の教育が始められた跡地であり、大正十四年には、第一東京市立中学校ができたと記されている。半蔵濠をはさんで、向こう側には皇居が深い緑色でたたずんでいる。
 桜の葉が織り重なり、初夏の熱い太陽をさえぎる。木陰の中は、オヤッと思うほど涼しい所と、蒸し熱い所がまばらになっている。 
 六月末から微かに鳴き出したニイニイゼミが、七月に入った途端、そうとうな数で鳴き出した。この小さなセミの鳴き声は、お掘りの石垣に浸み込むようだ。石垣にたまったエネルギーは、一気に夏を呼び込む起爆材になる。小振りで斑な恰好は、まるで忍者の隠れ身の術で、ななかなか見つけられない。樹皮にそっくりなのだ。
 七月の二週目に入ると、あちこちでミンミンゼミが鳴き始めた。透きとおった奇麗な翅に身をくるんだ、緑色の夏の貴公子だ。これらのセミの混声二部合唱は、七月の末まで続くのだが、この頃になると日増しに薄れていくニイニイゼミの声が、物悲しく聞こえてくるものだ。
 七月の半ば頃には、新興勢力のアブラゼミも、忙しく参加する。この茶色のセミはどうにも地味で、私のような労働者タイプだ。ミンミンゼミとアブラゼミは八月のお盆過ぎまで一世をふうびし、音楽界の頂点にたつ。
 千代田の蝉は純情だ。悪く言えばウスノロだ。簡単に手で捕まえられる。ここは都会過ぎて、蝉取りをする子供がいないので、世間ズレしていないのだ。当面の適は、烏という事になる。この黒い悪喰家、余りに多くの蝉があちこちで鳴くので、完全に撹乱されている。
 八月も末近くなるとツクツクホウシが、遅らばせながら参加する。透明な翅をまとった細い体は、夏を秋に換えていく繊細なアーティストだ。このアーティスト、結構おせっかいやきで、私が子供の頃には、
「宿題すんだか、オーシンツクツク」と、
心配してくれたものだ。
 九月に入るとセミの混声合唱隊に混じって、コオロギが哲学を語り始める。主役は空から地上へと移り、やがてその声も地面に吸い込まれると、静けさの中で車の騒音だけの公園になる。
 この公園で羽化する何倍もの蝉が、千代田のお城で誕生するのだろう。ミンミン蝉などよくよく背中を見ると、葵の紋に見えてくる。先の天皇は皇居の自然を、なるべくさわらずに、残しておかれたと聞く。
 桜の下でベンチに座り、静かに蝉の声に聞き入ると、少年の時、丈の長い蝉取り網を作ってくれた祖父の笑顔と、同じ明治生まれの昭和天皇の笑顔が重なって、お堀の向こうににじんで見えた。