夢経さんの家

ハゼは好調


ハゼは好調
 十月にしては少し蒸し暑い秋の日、二十一名が参加した。恒例の『ハゼ釣り大会』が開催されたのだ。この大会、日頃からお世話になっているSさんの肝入で発足し、すでに十五年以上の歴史を持つ。会の歴史の中で、黎明期に尽力してくれた、故人Nさんを偲んで『雅仁杯』というトロフィーまでできた。私はいつの頃からか、幹事ということになっていた。
 東京湾のハゼ釣りは、古く江戸時代から秋の風物詩として、庶民に親しまれてきた。近代に入っても人気は衰えずにいたが、太平洋戦争の勃発で衰退する。戦後、世の中が落ち着いてくると、再び出船も増えて、ハゼ釣りの人気が戻った。しかし、高度成長期に入ると、排水垂れ流しの公害が発生し、変形ハゼまで出現、釣り人は減っていった。その後、下水道の整備が進み、河川や海の水質良化に伴い、出船も増え釣り人気が戻ってきた。こんな盛衰を繰り返して、平成時代の今、再び秋の風物詩として、定着してきたようだ。
 ハゼは全世界に分布している。淡水から海水まで、あらゆるところで二千百種以上が生息しているとのことだ。日本近海にも四百種類ちかくいる。東京湾で普通に釣れるのは、その中の『マハゼ』である。一年から二年間生き、二十センチくらいの大きさになる。長い距離は泳げず短い距離をチョンチョンと泳ぐ。運動能力の低い底生魚なのだ。色は砂底に合わせた保護色をしている。多くのハゼは肉食でゴカイなどを大きな口で食べる。釣り餌に貪欲に喰らいつくので、釣りとしては初心者向きで人気がある。何にでもガツガツと飛びつく人、またはそのような行動を『ダボハゼ』よぶほどだ。
 昨年は、江戸川放水路の河口で釣ったが、釣果はいま一つ振るわなかった。ここ数年来、ハゼは数が釣れなくなってきた。乱獲が原因なのだろうか?今年は、お台場付近で釣果が上がっているらしい。
 浦安の釣宿Tに集合した太公望たちは、午前八時、旧江戸川から乗船し、一路お台場へと向かった。船は板前を兼ねた無口な船頭が舵を操る。お馴染みの船頭である。今年の船上は例年になく華やいでいた。いつになく女性が多く参加している。
 船が進む川の両岸では、多くの釣り人が糸を垂れていた。船のスクリューが作り出した波は、岸辺までの水面をゆっくりと伝わってゆく。こんな、のどかな風景の中を船は河口へと下って行った。
 ハゼ釣りは仕掛けが簡単、装備も手軽で、だれにでも釣れる。釣り場に到着したら、すぐに釣り始められるように、仕掛の準備をする。糸の先に天秤と称された金具をつけ、そこに小さな鉛の重りと針を結べばできあがりだ。後から餌にする『ゴカイ』が配られる。古参の自称名人たちは、自慢の竿を数本持ってくる。初めての人は手軽な貸竿を使う。参加二年目の人は、たいてい自前の竿を手に入れて持ってくる。
 船は河口を抜け東京湾に出た。湾内の波は穏やかで船酔いする人はまずいない。それに最近の酔止薬は良く効く。(大漁の期待)を乗せた船は潮風の中を、河口から三十分程走る。
 釣り場に着き船足を弱め舳先を風上に向けると、船頭が、
「さあ、始めてください!」
開始の声が響くと、いっせいに糸を垂らす。
「なにこれー、きもちわるーい!」
「それを千切って付けるんだよ、餌なんだから」
おどおどしている女性釣師。指にはきれいなマニュキアが。そんな騒ぎの中、船中最初の一匹目が釣れる。
「はいー釣れました。もうボウズは無いよ」
「こっちも釣れましたー」
「こっちはダブルー!」
あちこちで好調にハゼが釣れ始めた。
 私も数匹釣ったが小休止。初めての参加者に釣り方を詳しく教え始めた。
「まず餌の頭を取ってしまう。これをこんなふうに針に付けて仕掛けを海に投げる。浮子は使わないので糸の感覚で釣るんだよ」
「どんな感覚なの?」
「手に、プルプルって感じかな」
「重りが下に着いたら糸はピンと張って待つんだよ」
多少納得して釣り糸を垂れていると、
「きたきた!」
「キュッと、少し糸を引張って合わせるんだよ」
「わかった」
最初は合わせ方もぎこちない。
「あーあ、何も釣れてないよ」
「そうか、残念。でもほら餌が取られてるだろう。さあ、新しい餌を付けてもう一度。今度はもっとゆっくりと合わせてみな」
再び糸を垂らして海面を見つめていると、またも当たりがあったようだ。ゆっくりと糸を上げた。
「あっ釣れた!釣れてる!」
大喜びでハゼを取り込むと、針が飲まれていた。
「釣れてよかったね。でも合わせが遅すぎるとほら、針が飲まれてるだろう。かしてみな、外してやるから」
大きな口に針抜きを差し込み、ぐりぐりと回しながら針を外す。そんなことを何度かやっていると、もう一人で大丈夫。結構さまになってくる。
 船の舳先では、こんな一コマが。
「うわー怖いよ!」
「どうしたのHちゃん?」
「餌を針に付けていたら、ゴカイと目が合った」
「そんな馬鹿な」
女性たちも結構器用に餌を付けて釣っていた。
 そのうち、飲み物と摘みが回ってくる。洋上でのビールは旨い。気持ちが大らかになってくる。酒を飲みながら遠くを眺め、物思いに耽っている人もいた。しかし、ほとんどの人は、脇目も振らずに釣りに専念している。あちこちで次々に釣りあげている。上げ潮になり食いが立っているのだ。魚は潮が満ちてくる時に一番釣れる。初心者の女性も五匹以上釣っていた。釣果が上がりだし、漁師たちは魚の取り込みにいそがしい。
 潮風の中に、香ばしい油の匂いが流れてきた。船頭が天ぷらを揚げ始めたのだ。昼時になると、海を背にしてテーブルに向かい食事になる。最初に浦安名物、串刺しのアサリ焼が出る。これを肴に酒を少々飲む。茶碗によそったご飯が回ってくる。香の物とアサリの味噌汁も順次回ってくる。そのうちに野菜の天ぷらが揚がってくると、これをおかずに食事が始まる。
 私の隣に座っている若い初参加者に、
「Kくん、天ぷらは早く食べないと、すぐなくなるぜ」
「そうなんですか」
二人のやり取りを、ニコニコしながら見ている人もいる。波に揺られ、かなり空腹になっていたのだろう。Kくんは次々に野菜の天ぷらを、お腹に詰め込んでいた。
「ツネさん、あんまり食べないんですね」
「そのうちゆっくりとね」
野菜が終ると、今度はイカやメゴチの天ぷらが揚がってくる。
「Kくん、このメゴチは最高にうまいぞー。ほら食べろよ」
「たくさん出てきたなー。でも腹がいっぱいで、食べられないや」
最後にエビ天が揚がってくる。後から高価な旨い天ぷらが出てくるのだ。
「うまそうだけど、もう食べられないよ。ツネさんに急がされて‥‥、騙された。悔しいー」
みんなが笑っている。
 そんな団らんが終わると、再び海の方を向いて釣りが始まる。午後の釣りはさまざまだ。一心に釣りをする名人タイプ、私のように適当に釣りとお酒を楽しんでいるタイプ、ほとんど海に背を向けて、お酒と船上会議を楽しんでいるタイプ。いずれも秋晴れの下、最高の休日に違いない。
 根気強い名人たちのクーラーは、もういっぱいになっている。六十匹は優に超えているだろう。怠け者の私でも三十匹以上は釣れている。それには理由がある。自前の竿にスピニングリールを付けて、仕掛けを遠方に投げて釣る。遠くから船の近くまで、ゆっくりと巻きながら当たりを取れるので、広い範囲で釣っていることになる。貸竿の場合、船の周辺でしか釣れない。ハゼ釣りが好きになって、二年目以降も参加する人が、自前の竿と仕掛を持ってくる理由は、こんなところにある。それでも今回のハゼ釣りは、貸竿での初参加者も十五匹は釣っていた。
 午後三時前後になると釣りをやめて急いで船着き場に戻る。秋の日暮れは、つるべ落とし。暗くなるのは早い。家に帰り、釣った魚を料理するには時間もかかるのだ。
 船宿に戻ると、
「ハゼが七十六匹とスズキが三匹、今日は俺が竿頭かな。おまえは何匹釣った?」
「俺は五十八匹」
「俺は‥‥」
「僕は‥‥」
日に焼けた笑顔で、釣果を報告しあった。
 釣り名人が言った。
「さあー帰って天ぷらを作るぞー」
「どうやって料理するんですか?」
「まず頭を切り落とす。腹から開いてワタと骨を取って天ぷらに揚げるんだ。小さいやつは、そのまま唐揚げもいいんだ」
小さな魚ではあるが、ハゼは魚屋で売っていない。貴重な獲物でもある。
 「お疲れさんでしたー」
 身支度が整った順に、今日の獲物と釣宿からもらったアサリを手に、三々五々帰っていった。釣宿の主人が、毎年土産にくれるこのアサリ、小粒ではあるがうまい。
 みんなが帰り終ると、肝入役のSさんが私に言った。
「ツネさん、みんな楽しんでくれたし、今日のハゼは好調だったね」
「そうですね。天気も良かったし、結構釣れたし、みんな喜んでましたよ」
(来年のハゼも好調であるように)と、二人は祈った。
   
   平成十年代の情景を思い出しながら