夢経さんの家

塩釜の花火


塩釜の花火
  塩釜市の(みなと祭り)を見に出かけた。毎年七月海の日に壮行され、花火大会は祭りの前夜祭として開催されるのだ。初めて見る行事に、高校時代からの親友D君が道連れになってくれた。
 花火の前日、二人は飯坂温泉に宿泊していた。当日は朝から曇り空だった。飯坂線で福島駅に戻り、JR在来線に乗り換え、仙台駅で途中下車した。この時期は祭りが多い。仙台の一番町通りは、和霊神社・野中神社・えびす神社の、三社合同祭で賑わっていた。あちこち見物をしてから、宿のある多賀城に向った。塩釜の宿は、どこも満室で空きがなく、多賀城泊となっていた。仙石線に乗車するころから、少し雨が降り出した。
 多賀城駅に着いたときには、かなりの雨になっていた。私は昭和四七年から四年間、この地で学生生活を送った。卒業後、多賀城で宿泊するのは初めてで、三十八年ぶりとなる。当時の駅は橋上駅になり、昔の面影は全く残っていない。先の地震と津波で、かなりの被害を受けたのだが、復旧は進んで、災害の爪痕はほとんど残っていなかった。しかし、この地で失われた、三百人近くの尊い命は戻ってこない。
 雨の中、駅近くのビジネスホテルにチェックイン。荷物を置いて直ぐに大浴場に入った。風呂には他の客がなく、ゆったりできたし、小さなサウナもあって疲れがとれた。その後、一息入れて多賀城駅に戻った。
 空模様は、強く降ったりやんだり、そんな状況が続いていた。花火大会は開催されるのか、中止になるのか判らなかった。浴衣を着た娘さんたちが、雨の中を駅に向かって歩いている。中止が決まったわけでもないようだ。本塩釜まで三駅、時間にして六分で着く。
 「帰りの切符をお求めください」
駅員が大声を出している。駅は相当に混雑していた。下車した人のほとんどが、花火会場を目指して歩いてゆく。道筋は花火のように丸い傘が開き、まっすぐに流れていた。
 途中にあるイオンタウンは、雨宿りの人であふれていた。軽く食事をしようと思い、私たちも中に入った。人気店の予約記入欄は、三ページ分も記載されている。人気店の前は、花火のように色とりどりの、浴衣姿の娘さんたちが群れていた。別の店に行くと、ここでも十名以上の順番待ちになっていた。
 取りあえず予約欄に名前を書いた。店員が順次呼び出すのだが、返事のないことが多く、意外に早く席につけた。花火大会の開催は八時からの予定になっているので、始まるまでには、まだ四十五分ほど時間ある。餃子と鳥のカラ揚げを摘みに、生ビールで時間をつぶした。
 開催時刻が近づくと、食堂は空席が目立ち始めた。それでもまだ残っている客もけっこういる。これから花火が始まるというのに、入ってくる客もいる。雨なので、完全に見物をあきらめた人たちなのだろう。二人は十分前に店を出て会場に向かった。
 小降りにはなってきたが、相変わらず降っている。傘のせいで、人と人の間隔が広くなり、見物人は倍くらいに膨らんでいた。中にはテントを組み立て、雨よけをしている家族もいる。
 ドーン!
 降りが強くなってきたとき、一発目の花火が上がった。大きな花火が、薄い曇りガラスを通して見るように霞んでいた。小降りになった時だけ、くっきりと見える。雨の中で花火を見るのは初めてだった。
 打ち上げ時間は三十分ほどなのに、十五分過ぎたころから、帰り始める見物人が相当な数にのぼった。浴衣姿の娘さんたちの大半は、雨に濡れていた。中には傘を持っているのに傘をささず、濡れるままに任せて歩いている、
勇ましい娘さんもいる。彼女達にとって今日の花火大会は、これから何度か見る花火の中でも、とくに印象深い思い出になるのだろう。夜空から届く、花火の音がなんとなく悲しかった。
 私たちのズボンも、かなり濡れてきた。雨の中で、いよいよ最後のスターマイン、速射連続花火が上がった。大小の花が夜空を淡くぼかしながら輝く。花火師たちが、一番力を入れて打ち上げた最後の花火も寂しかった。
 皮肉にも、最後の花火が終わった直後に雨がやんだ。傘をたたみ、人波に乗って駅に向かう途中、D君は苦笑いをしながら言った。
「雨が三十分早く上れば良かったのにな」
「まったくだよ」
 塩釜の花火大会は終わった。