夢経さんの家

天下御免の風太郎


天下御免の風太郎、湯屋へ
 仕事をしていない者を、ぷー太郎と言う。語源は、(風太郎)から名がついているらしい。昔は流れ者の作業員をこう呼んでいた。仕事をせず、全く働く意思のない者はニートと呼ばれる。私の場合は、ほんの少しは働いてもいいと思っているので、ぷー太郎組に属している。天下御免の風太郎である。
 この風太郎、
「天下御免の向こう傷、ご存じ旗本退屈男・早乙女主水之介」
とはいかないのである。退屈の虫は疼くのだが、映画のように次々と事件は起こらない。まあ、それに越したことはない。次に使える金子が、あまりにも少なすぎる。さらには周りには綺麗処が全くいない。とても早乙女主水之介には程遠い。しかし、何よりも高価な、(自由な時間)という、金子には代えられない印籠を持っている。
 今日もこの印籠を手に、市井へと出掛けるのである。くたびれジーンズにポロシャツの着流し。そして素足に雪駄履き。粋な出で立ちのつもりだが、一つ間違えれば、徘徊老人と間違われる風体だ。
 今日は狸の湯にやってきた。懐には一枚の回数券とタオルを持っている。下駄箱に雪駄を入れて、百円玉を入れ鍵を取る。前に十円玉で試したが駄目だった。恐るべき日本の錠前の技。
 湯殿への入り口で大年増の姉さんに、通行手形の回数券を渡す。
「いらっしゃいませー」
「うん、世話になる」 
てなことで暖簾をくぐり、脱衣所へと向かう。残念なことに今の風呂は混浴ではない。主水之介の時代が羨ましい。裸になるのには二分とかからない。
 かけ湯をして真っ直ぐサウナ室へ入る。今日は五人の先客が汗を流していた。湯屋に来た時間が早かった事もさる事ながら、此処の湯はたいてい空いている。最上段となる温度の高い席に腰を下ろす。十二分計の時計を見る。長い方の針の回転に伴って汗が出始める。私の場合、最初に汗が出る場所は額である。言わば、額に汗して働いているのだ。次に首筋から胸にかけて、塩分を含んだ水泡が発生する。汗はやがて二の腕に。最初に決めた十分後の数字に、短い方の針が近づく。残り一分を切ると、いつでも時間の経過が長く感じる。汗にまみれた高温の中、待ちかねた時間が来た。急ぎ足で常温の世界へ向かう。
 手桶で汗を流してザブーン。水風呂に身を沈める。一瞬にしての焼き入れ作業だ。(何たる快感爽快であることか)この一場面だけは、主水之介より格上の退屈男だ。しかし実は、この快感を知ったのは、そう遠くない。以前はサウナの直後に水風呂に入ると、心臓麻痺でも起こしかねないと思っていたのだ。何ともお粗末な話だ。
 水風呂には二十秒と浸かっていない。さっと飛び出して露天のサマーベットか縁台に横たわる。瞬間に全身を駆け抜ける開放感。(つい最近まで、この時間には働いていたんだなー。それが今はここで空を眺めている。ああ、なんと天下御免の恵まれたことか)心地よい睡魔に誘われ意識は消えてゆく。
 目覚めると十五分くらいが過ぎている。二度目のサウナに行くために、立ち上がった。露天風呂に三人、ベッドに三人、縁台に一人が横たわっている。屋内に入ると様々な湯船に計七人、洗い場に三人、水風呂に二人がいる。さらに湯船のふちに二人が横たわっている。仲間連れの若い三人組を除いて、全員が私より年上の退屈男たちであった。ほとんどがそれぞれ一人で来ているようだ。(二十一人か)呟きながらサウナ室に入った。
 熱気の中では三人が汗まみれだ。今の客数は、自分も入れると二十五名のようだ。やはり此処の湯屋は空いている。一度目より一分少ない目標の、時計の数値を確認した。最初は、やはり額から汗が出た。同じような行程で屋外に出て、今度は縁台に横たわった。目の上に覆い被さる大欅の木の葉は、しなやかさを失いはじめている。蝉の声も既にない。確実に季節は秋へと向かっている。
 三度目のサウナに、さらに一分短く入ってまた一休み。東屋風の屋根のかかった露天風呂に入る。ジワリゆっくり汗がにじみだす。指先を見ると、すでに皺ができていた。さあ、体を洗う番だ。
 此処の退屈男たちは、禄高の高い高貴な者たちではないようである。椅子と洗い桶は、あちこちで散乱している。一組をまとめて洗い場に座る。私は昔ながらの固形石鹸が好きなのだが、ここには無い。シャンプーはリンス兼用と書かれた下世話なものだ。髪を洗い、好みでないボディーソープで泡立てる。体をよく洗い流した後は、椅子と洗い桶を、きちんと揃えて退出する。これが出来なきゃ旗本ではない。
 脱衣場で量りに乗ると、たいていは一キロ近く軽くなっている。今日も同じかげんだ。髪はすぐに乾く。ドライヤーで一分と掛からずに、乾いてしまうのだ。年々作業は楽になるのだが、寂しさが頭部をよぎる。
 さっさと服を着て関所に向かう。パートタイムの交代があったのだろうか、別の大年増の姉さんが、
「ありがとうございましたー」
「うむ、世話になった。また参る」
給水機の冷水を、一杯所望して下駄箱に向かう。鍵を差し込み、百円玉を落とさないよう注意して雪駄を取り出す。以前、他の湯屋で百円玉を落としたら、どこかへ転がって、えらい目にあった事がある。同じ過ちを犯すようじゃ旗本ではない。
 風呂上がりの市井は気持ちがよい。自分だけ高貴な者になったような、気がしてくるものだ。(今夜は風呂に入らなくてすむ)、こんな喜びを胸に、集合屋敷への帰路に就く。
 これでほんの少しは、退屈の虫が収まったようだ。