夢経さんの家

写真


写真
    一
 絵が下手な私にとって、写真機は神様のような存在だった。子供の頃、図工の通信簿には、5段階評価でいつも2がついていた。2は普通より下の意味である。ほかの人はどうして上手く絵が描けるのか、不思議だった。
 小学校の林間学校で写生会があったとき、Tちゃんと一緒に並んで描いた。私の絵を見て、
「ここはこの色がいいし、ここの舟は余分だよ」
細かく教えてくれた。私は、教えられるとおりに描いた。その絵は銅賞に入賞した。Tちゃんは銀賞だった。私自身は絵を描く能力がないのだ。自分の感じた、美しい風景を形に残すには、写真機しかないと思っていた。
 小学六年生になったとき、父が質流品のハーフ版カメラを買ってきた。オリンパスペンSというカメラだった。このカメラで写すには、シャッター速度からレンズの絞り、撮影距離のすべてを、自分で合わせなければならない。昔から家には蛇腹のロクロク版写真機があり、これを使っていた父にすれば、すべて手動があたりまえだったのだろう。ほかの友達は、ほとんどがEEカメラを持っていた。
 ハーフ版カメラとは、一般の35ミリフィルムの半分の大きさで写すカメラで、36枚撮りでは、72枚写せることになる。フィルムが高価な時代だったので、世間受けした。それに加え、小さいレンズのゾーンフォーカスが主流で、カメラ自体、軽量小型化ができ、比較的安価に製造できた。メーカー各社が、次々に新機種を発売した。オリンパスペン・ペトリハーフ・コニカアイ・キャノンデミ・リコーオートハーフ・ミノルタレポ・ヤシカミミー、ハーフサイズは一時代を風靡した。
 EEカメラとは、エレクトリック・アイのことで、セレンという、今でいうところの太陽電池がついている。明るければ強く発電し、暗ければ弱い発電になる。この機能を利用して、明るさを、自動に決めてくれる仕組みになっている。今のオートに比べれば、かなり精度は低いが、電源がいらないという特徴があった。
 ゾーンフォーカスとは、焦点の合う距離の幅が広いレンズで、遠距離(風景)、中距離(スナップ)、近距離(顔写真)の三段階で距離を選択する。画角を大きくして、全ての距離をカバーする、パンフォーカスと呼ばれるレンズを使用した機種もある。このレンズでは、シャープな写真は撮れない。
 カラー写真は相当高価で、写真と言えば白黒フィルムの時代だった。24枚撮りのフィルムを入れ、48枚の写真を写してみた。沈みゆく夕日、空を流れる雲、川面の輝き、それに友達の写真などを撮った。なにしろ、1枚1枚、露出、シャッター速度、距離をセットするので結構頭を使う。写し終わった小さな箱の中には、私なりに記録した、美しさの感動と、友達のすました顔が記録されている。いや、いるはずだった……。
 フィルムの現像と焼付けは、写真屋に頼むのが普通だった。写真代はとても高価なので、最初に現像だけを頼み、フィルムから焼付けるコマを選ぶ。そして、再度写真屋に行き、選択した焼付けを依頼する。
 一連の流れを経て、わくわくしながら写真を取りに行った。
「おじさん写真できてる?」
「できてるよ、よく撮れてるよ」
帰ってから1枚1枚じっくりと眺めたが、そこには何の感動も写っていなかった。1枚の印画紙に、明るい部分から暗い部分まできれいに写すには、良い写真機と、難しい写真技術が必要なのだと知った。撮影するために必要な知識はこの時代に覚えた。
    二
 社会人になり二年目の秋、ペンタックスMXを買った。TTL一眼レフで、GPD素子による測光、機械式シャッターの、いわゆるマニュアル式カメラである。中学生のころから、勘だけに頼るマニュアル式を使っていたので、この機種を選んだ。当時のカメラに比べたら、カメラ技術は相当進歩している。ピントはもとより、ファインダーを覗きながら露出が自由に決められる。レンズは明るいF1・4の50ミリレンズがついていた。これで被写界深度を生かした写真が取れる。少しの期間これで満足して撮影していたが、交換レンズが欲しくなり、200ミリ望遠と、28ミリ広角レンズを買った。
 TTLとは、スルース・ザ・レンズの意味で、レンズを通過した現実の光を測光できるシステムである。一眼レフカメラは、レンズが一つの意味で、あたりまえのようだが、昔は二眼レフといって、同じレンズが二個付いているカメラがあった。レフとは、レフレックスのことで、レンズに入った光を鏡で反射させ、画像を結ばせて、ピントを合わせる方式のことをいう。
 GPD素子とは、ガリウム砒素リンフォトダイオードという受光体で測光するもので、昔のセレンに比べたら、精度や感度が、格段に高い。ただし、セレンと違って、電源を必要とする。電池が切れると測光できないのだ。その時は昔の勘を発揮するしかない。シャッターは機械式なので、電源を必要とせず作動する。要はこのカメラ、電池が無くても撮影が出きる。風景写真を多く写す私には、遠方に行き電池切れになっても対処できる、最良のカメラなのである。もちろん、予備の電池を持っていれば問題はないのだが。
 レンズのことを少し説明しよう。一般の35ミリ版のカメラでは、50ミリレンズを標準レンズと呼ぶ。人間の見た目に近い写り方をする。写すものを、近づけてみたり、広げてみたりしないので設計に無理がなく、明るいレンズを作れる。レンズの明るさをf値というのだが、数字が小さいほど明るい。明るくするには、光をたくさん通さなければならないので、当然レンズの径は大きくなり、よって重くなる。
 大きく分けると、50ミリより大きい数字のレンズを望遠レンズ、小さい数字のレンズを広角レンズと呼ぶ。望遠の200ミリレンズは50ミリの4倍の数字で、倍率が4倍に見える望遠鏡のようなものだ。広角レンズは数字が小さくなればなるほど、広い視野が写せる。50ミリの半分で25ミリのレンズなら画角は倍になり、面積は4倍写る。15ミリレンズは魚眼レンズと呼ばれ、180度の画角が写る。
 レンズには被写界深度というものがある。
これは、ピントの合う範囲のことだ。広角になればなるほど広い範囲にピントが合う。望遠になればなるほどピントの合う範囲が狭くなる。また、同じレンズなら絞り値fが大きくなればなるほど、(値が大きくなるほど、レンズを通る光の量が少なくなる)ピントの合う範囲が広くなり、f値が小さいほど、範囲が狭くなる。つまり、f値1・4とかに、値を小さくして、レンズを通過すつ光量を増やすと、ピントの合う範囲が狭くなる。レンズの持つ、被写界深度を生かして、背景のぼけた写真を写すわけだ。写真全体をはっきり写すには、f値を大きく(一般に絞り込むという)すればよい。
 高度な撮影のできるシステムをそろえて写真を取れば、きっと美しさの感動が記録される。そして、数多く撮影を重ね経験を積めば、自分の感じたことを表現できる。いや、できるはずだった……。しかし、何か物足らない。感動がない。フィルムでは見える雲が、印画紙には写っていないのだ。そんな挫折感の中で、こんな言葉を見つけた。『写真は、カメラで写して50%、それを現像して焼付けてやっと100%になる』
    三
 手始めに現像に取り組んだ。白黒の現像セットは比較的安くそろう。暗室がないので、昼間でも現像できる、デイロードタンクというのを買った。それと現像液、停止液、定着液の薬品が必要になる。各液体は自分で調合せずに、調合済みの市販品を使った。
 フィルムに塗布された感光剤の臭化銀に光が当たると、銀を含む臭化銀の結晶ができる。これを見えるようにするのが現像である。現像に関する化学的内容は専門的になり、よく理解していない。
 現像の仕上がりは、現像液の温度と、フィルムを現像液につける時間によって変わる。適正な現像ができるように、いつも水温二十度で現像した。現像液は再度使えるが、現像をするたびに現像効果が弱くなってゆくので、順次現像時間を長くしてゆく必要がある。最初の一本目は何分、二本目は何十秒長く現像するといった表を作り壁に貼っておいた。作った現像液でその都度、24枚撮りを7本くらい現像した。
 次に現像の促進を止めるために、現像液をタンクから出してから停止液を入れる。停止液は使い捨てで、酢酸を薄めて使用した。この作業に入ると狭いアパートの中は酢の匂いでいっぱいになる。かなり臭いのだ。窓を開けないと鼻にツンとくる。
 最後に酢酸を捨てて、定着液を入れる。現像しただけでは、感光しなかった感光剤がまだ残っている。この部分は光が当たるとまた感光してしまう。この感光剤を取り除く処理を定着という。写真屋で使用した定着液を、フィルムメーカーが回収して、定着液に溶解した銀を取り出して、再利用していたらしい。
 初めての現像は緊張した。各薬液の温度を20度にして、棒温度計で水温を測りながら、目覚まし時計の秒針を追いかけた。現像むらができないように、タンクを、ときどきゆする。次々に液体を出し入れして、やっと現像タンクからフィルムを取り出した。(写っている、フィルムには画像が写っていた)急いで風呂場に行き、洗い桶にフィルムを入れ水を流しつ続けた。定着液を洗い流すのだ。その後、フィルム表面の水を専用のスポンジで拭き取り、洗濯挟みで吊して乾かした。そこには美しさの感動のもとが浮き出していた。何度か現像をすると慣れてきて、気温が20度近くになる季節に、何本かまとめて現像するようになっていた。水温の管理がほとんどいらないのだ。
 現像したフィルムは増えていったが、しょせん写真ではない。いよいよ焼付ける機械を買わなければ、先に進まない。これには少々お金がかかる。印画紙も結構高い。
    四
 とうとう引き伸ばし機を買った。ラッキーM90という機種だ。引き伸ばし用レンズと電球、現像バットや印画紙を挟む竹のピンセット、イーゼルマスク、現像液、停止液、定着液などをそろえた。引き伸ばし作業も、温度管理の点から気温20度の季節に集中して行うことにしていた。
 印画紙の現像には、フィルム用とは違った現像液を使う、印画紙用の方が作用がはるかに強力である。停止液は酢酸で同じだ。定着液も同じものが使えるが、フィルム用とは分け、別の容器に保存する。
 印画紙はフィルムに比べれば、はるかに露光する感度は低く、作業は夜に雨戸を閉めれば十分にできる。部屋は締め切ってしまうので、部屋中に酢酸の匂いが立ち込めて辛い。現像室など無いのだからしかたがない。
 私のアパートは二部屋とも畳敷だった。広いビニールを敷いて、現像、停止、定着用の三つのバットを並べ、それぞれに薬品を入れた。引き伸ばし機を脇に置き、ネガキャリアにフィルムを乗せてセットする。ここから先の作業は部屋の電気を消して、暗室用電球の明かりの中でおこなう。徐々に部屋の暗さに目が慣れてくる。
 六つ切りの大きさに合わせたイーゼルを、焼き付けをする台の上に乗せた。引き伸ばし機の電気を付けると、うっすらとフィルムの風景が写しださる。ネガキャリアの高さを調整して、イーゼルの大きさに合わせた。次にその位置でピントをあわせ、レンズをf8に絞った。引き伸ばし器の電気を消し、印画紙をイーゼルで押さえ、台の上に置いた。そして再び電気をつけ、何も考えず20秒露光した。
 引き伸ばし機の電気を切り、現像液に印画紙をつけピンセットを動かした。現像液の中では、白い印画紙から徐々に写真が浮き出してきた。(写真ができた、画像が出てきたのだ)現像液を入れたバットの中には、何かを生み出す感動があった。
 写真の出来は良くなかった。どうも焼きすぎたらしく、全体が黒かった。停止液から、定着液に移してゆく。この工程になると部屋の電気をつけてもよい。最初の写真には、美しさの感動はなかったが、写真を作れた大きな喜びがあった。
 その後、適正な露光時間を調べるために、写真を少しずつ覆い、露光時間を変えて、仕上がりの違いを確認する段階焼きを覚えた。フィルムに薄く写っていた雲を浮き出させるための焼きこみ、暗すぎてしまう部分を明るくするための覆い焼き、いろんな方法を覚えた。やっと、イメージに近い写真が作れるようになった。そう、写せるようにではなく、作れるようになったのだ。社会で活躍するプロカメラマンとは、ほど遠い低次元での話ではある。
 その後、世の中はデジタル時代になった。少年の頃から多くの感動を与えてくれた、オリンパスペンS・ペンタックスMXは、現在アルミケースの中で、現像タンクや引き伸ばし機は、現在押入れの中で、共に三十年来の眠りについている。私に再び、感動を追いかける日が来るのを、静かに待っているのだ。