夢経さんの家

白いチョーク


発見された卒業文集作品(白いチョーク)
 昭和四十七年、テレビ時代劇で(木枯し紋次郎)という番組が始まった。中村敦夫さん主演で、放送期間は一年と少しだった気がする。知らない方はユーチューブで見てください。
「木枯し紋次郎、上州新田郷三日月村の貧しい農家に生まれたという。十歳の時に国を捨て、その後一家は離散したと伝えられ、天涯孤独な紋次郎、何故、無宿渡世の世界に入ったかは定かでない」
こんなナレーションが頭に浮かんでくる。番組が始まるといつでも紋次郎は、
「あっしには関わりのないことでござんす」
と言いながら、結局は関わりすぎてゆくパターンだった。道中合羽に破れ笠、何より特徴は長い楊枝を咥えていた。何故かその頃、焼鳥屋から出てくる酔っ払いたちは、食べた後の櫛を咥えていた。(飲み代は関わりないことでは済まないのだ)。そして、オープニングで歌う上条恒彦さんの主題歌が、番組を魅力的にしていたものだ。番組全体に独特のニヒリズムと愛が流れていた。
 この年私がU高校を卒業する折に応募した短文が、何故か卒業文集に採用収録された。当時、よほど紋次郎に感化されたようである。卒業文集自体は長年紛失中なのだが、ふとしたことで原文が出てきた。それが次の作文なのです。古いものと馬鹿にせず、先ず一読ください。

    白いチョーク
 
 生きがい?そんなものございやせん。ただ、あっしらの死んでゆく姿を、一人でも多くの学生さんに見てもらいてえ。ただそれだけでござんす。あっしらは、毎日毎日、身をすり減らして死んでゆくんでございやす。
 昨日も今日もあっしらの毎日は戦争でござんす。黒板の戦場で少しずつ死んでゆくんでございやす。あっしらのような色のない者には、学生さんたちの目を楽しませることはでできやせん。灰色の文字にしかなれやせん。
 しかしでござんす。あっしらのような者にも、小さな楽しみってやつがございやす。あっしらの死んでゆく姿が、帳面とかいう紙に残ってゆくんでござんす。なかにゃ、心の中に残してくれる学生さんもいるんでござんす。
 短くなりゃー御用納め。お払い箱のあっしらでございやす。(もっと働けるのに……)そう思ったこともありやした。あっしは、まだよいほうかも知れやせん。学生さんに踏みつけにされて、死んでいった仲間も数知れやせん。あっしらは、黙ってそれに耐えてゆかなければなりやせん。
 あっしは今、しがねえゴミ箱の中でこんな事を考えているんでございやす。
(学生さんよ、もっと良く、戦いに散るあっしらの姿を見てやってくだせえ。あっしらの死を無駄にはしねえでくだせえ。あっしはもう老いぼれでございやす。学生さんたちゃ、これからの体でござんす。あっしがもし生まれ変われたら、学生さんのように生まれてえ。そんな事、どうせあっしらにゃ、夢でござんすね。夢で……。)

 何やら当時、こんな作文を書いていたようでござんす。