夢経さんの家

趣味と毎日サタデイ


趣味と毎日サタデイ
 定年後、お礼奉公を一年して退職した。待ちに待った自由人になったわけだ。時折先輩や知人に会うと決まって聞かれる。
「第二の人生を楽しんでいますか?」
第二の人生とは、定年退職後の事を一般にこう呼ぶのだろう。定年に前に退職した人に、この言葉は使わない。私は、第二の人生という言葉は嫌いだ。なぜなら人生は一度きりのもので、生まれてから死ぬまで全て第一の人生なのだ。

 時々こんなことをいう人がいる。
「自分は趣味がないので、どうやって第二の人生を楽しんだら良いか分からないのです」
趣味というものは、自分にとって楽しいことすることだ。生活のために働くことは、特殊な人以外、そんなに楽しいものではない。ただ全部が苦しいものでもない。私の場合、まず最初に、何か遊ぶことを考える。次にそれを実行する時間を作るため、必死に仕事をする。すると苦しみが軽減される。こんな流れだ。
 酒が好き、パチンコが好き、博打が好き、みんな趣味なのだ。自分を困窮させるほど入れ込むと、趣味の域を脱して仕事になってくる。これじゃだめだ。
 真実は、性格が飽きっぽい人ほど趣味を楽しめる。どんな趣味も何かを極めようとすれば仕事になってしまう。楽しむ遊びが趣味なのだ。私の遊びは、いつも一時は魂をつめてやるが、すぐ飽きる。するとまた別の遊びに魂をつめて、またすぐ飽きる。こんなことを繰り返している。そして依然やったことに再び魂を詰めて遊んでいる。言わばサイクル型の趣味だ。
 例を挙げると、夢中で作文を書いてはすぐ飽きて、真空管でラジオを作ってみたりする。すぐに飽きて海釣りに出かける。これにも飽きて、今度はオートバイでツーリング三昧。またまた飽きて海でダイビング。真空管がトランジスターに変わり、またしてもラジオ屋さん。カラオケ三昧、ギター三昧、漫画三昧きりがない。各駅停車の一人旅に行ったかと思えば。写真を焼いてパネルづくり。要はすべてが中途半端で、いい加減なのだ。そんなサイクル趣味の中に、生活の生業としていた技は一切ない。それは趣味ではなく仕事なのだ。

「そろそろ何か仕事を始めるんでしょう?」
「今のところ全くその気はないんです」
「いいですねー、毎日サンデイですか?」
そのたびに、
「私の場合は毎日サタデイですよ」
「えっ!サタデイですか?」
するとこれも決まって、その説明をしなければならない。
 そもそも日曜日が楽しいのは午前中くらいのものだ。次の月曜日には朝からの仕事が待っている。夕方になって定番のテレビ番組(サザエさん)が始まるころには憂鬱になり始める。気が早い人は(笑点)が始まるころに、この症状が出るらしい。それに比べ土曜日はどうだ。夜になっても心ウキウキワクワク、明日は休みだ。最高の日なのだ。
 子供のころ土曜日の学校は午前中で終わりだった。昼ご飯は家に帰ってから食べるものだった。四時間目が終わった後の解放感は今でも忘れられない。昼飯なんてそっちのけで道草をして遊んでいた。まっすぐ家に帰ってご飯を食べても、すでに遊びの約束はできている。大急ぎでみんなが約束の場所に集まってくる。私は土曜日が待ちどうしくて、金曜日には心が弾んでいた。せっかちな性格がそうさせたのだろう。
 今の境遇は、明日になっても、その次の日が来ても仕事は始まらない。毎日が土曜日のウキウキなのだ。そんな中で、今年のゴールデンウイークが終わった後、会社に行かないでよいことを変に感じた。まだ自由人になりきれていないらしい。
 普通の人は幼稚園や小学校に入った時から、朝の時間に縛られて五十五年以上の、厄介な人生を生きる。今はその縛りから解放された日々を送っている。夜中に目が覚めて眠れなくなったとき、本を読もうが漫画も読もうが一向にかまわない。朝、起きなくても何の問題も起きないのだ。
 しかしよく考えてみると、土曜日が楽しかったのは、一週間待ったということが楽しみを大きくしていたような気もする。待たなくても来る土曜日は、今までの土曜日の楽しみに比べると、七分の一なのだろうか。