夢経さんの家

雪と土木屋


雪と土木屋
 私が育った栃木県の平野部は、ほとんど雪が降らない。子供たちは、年に数回しかない雪の日を心待ちにしていた。
「早く起きろ!雪が積もってるぞ」
母に起こされ飛び起きる。
「わーすげー、真っ白だ!」
大急ぎで着替えて遊び始める。横町のあちこちに雪だるまが並ぶ。しかし、積った雪はせいぜい数日しか残らない。日陰に長く残る雪もあるが、この雪は氷のように堅くて遊びにはならない。
 子供の頃楽しかった雪も、大人になると迷惑な存在になってくる。特に建設業に関わる人には厄介者だ。私の仕事は土木工事で、建築よりも更に雪は厄介なのだ。
「土方殺すにゃ、刃物はいらぬ、雨の三日も、降れば良い」
こんな都々逸がある。雪は雨よりなお悪い。雨は上がれば作業開始となるが、雪は除雪をしなければ始まらない。土工事ともなると、さんざんな目に遭ってしまうわけだ。
 私は一時期、津軽地方で冬季の河川改修工事に従事した。この地での仕事は、のんきな都々逸どころではない。雪は毎日休まず風吹いて、それは工期の終わる春まで続くのだ。一般道路から現場まで、毎朝日課の除雪から仕事が始まる。しかも冬は暗くなるのが早く、悪天候と寒さの中で、仕事の能率は落ちる。何一つ良いことはないのだ。こんな日々の中で、大雪が降ると現場は休業となる。作業員は休みになるのだが、元請の社員は、今までに溜まった書類や写真の整理、更には雪中の現場巡回等があり、さっぱり休めない。因果な職業である。
 そんな仕事の中で、大雪の日には時々気分転換を図る。気持ちが滅入ってしまうと仕事は上手く進まない。
「さー、今日の仕事はこの辺で止めにしよう。焼き肉でもして一杯やろうぜ」
この手の提案に反対する者はいない。
「そーいえば前回残った肉が、木の下に埋まっているぞ。俺、取ってくらー」
「いずれにしても、それだけじゃー足りねーよ。材料を買いに行こうぜ」
動きは速い。(仕事もこんな調子だといいのだが)そんなことを考えながら準備を始める。
 今日はこぢんまりと、カセットコンロを使う。作業員たちと大勢で焼き肉をするときは、ドラム缶を半分に切り、炭を起こして料理をする。その場合は、私が肉を漬け込んで準備をしておく。秘密の製法があるのだ。
「準備ができたな、まずはビールで乾杯」
「何に乾杯なんですか?」
「そんなことは何でもいいんだ。ほら、うんと飲めよ」
酒盛りは明るい時分から始める。
「こうゆう時は、雪もいいですねー」
外の風吹に負けないくらい、みんなの話は弾んでいる。ビールが切れると待ちかねたように、一升瓶(日本酒)が登場する。空気の入れ替えに窓を開けたら、待っていましたとばかりに、雪が部屋の中で踊りまくった。一瞬にして部屋は新鮮な空気に包まれ、暖まっていた体は冷たい空気で引き締まる。
「さっぱり止まねーな」
「寒いなー、早く閉めろや!」
暖かさを取り戻そうと更に酒はすすむ。雪の中で、意外にゆっくり日が暮れてゆく。
 曇った窓の水滴を拭くと、雪は小降りになっていた。夜を待つ現場は、機械、材料、残材、何もかも見分けがつかずに覆い尽くされ、白い静寂な世界が広がっている。けだるさの残る静けさの中で、至福の一時を過ごしている。土木屋にとって厄介な雪も、酒が加わると、素晴らしい送り物に変わるようだ。